昨夜、水戸市元吉田の薬王院さんにいってきました
年に1度の御開帳の機会に感じた感動を国史ブログにつづります
自宅から、薬王院までは徒歩10分。
10分でいける距離に、奈良や京都にも劣らない素敵な空間が広がっていました
平成27年5月23日 薬王院の本堂が、御田植祭りにあわせて、公開されました。
薬王院は、常陸の国三宮、吉田神社の神宮寺として発展し、平安時代初期、桓武天皇の勅願所として建立されたと伝えられる関東地方の有数の古刹です
ご本尊は薬師如来。水戸藩の代々の藩主の庇護もあつく、とくに光圀公は一時荒廃した寺院の再興に尽力されたそうです。本堂が国指定の重要文化財に、十二神将や仁王門もそれぞれ、県、市の指定文化財に指定され、古い歴史と今なお人々の信仰をあつめるお寺です。
日本は、多くの異文化との交流のなかで独自の文化を育んできた歴史があります。竹や、梅は、日本をイメージする植物ですが、いずれも中国から持ち込まれたものです。しかし、何にの違和感もなく、日本の風土のなかに溶け合っているのではないでしょうか?
同じく、仏教も日本の風土と溶け合い今に至っています。インドで誕生した仏教は、中国、朝鮮半島をへて日本に伝来しました。本来、仏教は、悟りを得るために厳しく自分と向き合う宗教です。それがユーラシア大陸を横断し、日本の風土と溶け合うことで、いまの姿に落ち着きました
例えば、お盆やお彼岸は、仏教と関係なく神道由来の習慣と言われています。また神道についても、山や川を素朴に奉っていた時代から、社殿や儀式化していく過程で仏教の影響をうけています。
きらびやかな仏像の姿に往時の人々は、心を奪われる一方、森や川のなかにも仏を感じ、等しく大事に伝えてきました。神社やお寺に、森や大きい木があるのは、そのためです。
海外の宗教の施設には緑がないと感じたことはないでしょうか?神さまから自然を支配する権利を与えられたと考える一神教の文化圏とは、自然とは乗り換えるもの。反対に、日本では自然の中に神を感じ、敬い、そして共生の道を選んできたのです。
自然との関係でなく、日本の宗教観は、ユニークで世界的に珍しいものです。たとえば、年末から年始の日本人の1週間の行動を紐解いてみると、クリスマス(キリスト教)を祝った後は、大掃除(神道)、除夜の鐘(仏教)をきき、新年には、初日の出と初詣(神道)にいく・・・ この節操のなさが日本人の特徴です。
21世紀になった今も、世界では宗教問題に根をはる戦争や、人々の争いが収まる気配はありません。これらを解決する道筋には、多様な価値観を認め、あるいは溶け合うことができる柔軟性が求められます。柔軟さとは、節操のなさは、イコールです。これからの時代は、家電や自動車だけでなく、日本の「日本人らしさ」が世界から求められることでしょう。
御開帳された薬王院も、そんな日本の多様性を体現した寺院です。吉田神社の神宮寺として誕生しています。神宮寺とは、ざっくりいえば、神社が経営するお寺です。
これを他の宗教に当てはめると、その特異性がわかります。キリスト教が運営するイスラムのモスクがあるでしょうか?日本は、違う神様でも、丁寧にまつる器の広さがあります。この多様性が日本の伝統です。
薬王院の本堂には、1200年前、開山当時の作と伝えられる3体の仏像が安置されています。
1000年もの時をへて、仏像はきらびやかな纏(まとい)を脱ぎ捨て、自然に帰るように、ただの橘木のような面持ちをみせています。
今回の御開帳では、子どもの頃におぼろげながらにおあいした記憶があったのを、30年ぶりに拝観できる機会にもなりました。朽ち果てた仏さまのお姿に、童心をうばわれ、ある種の怖さとある種の神々しさを感じたのを今でも覚えています
古寺をおとずれ、優れた評論をのこした白洲正子さんは、奈良県大和郡山松尾寺で 、1体の仏像を発見し、これを高く賞賛し、その価値を世間に発表しました
焼損仏像残闕(千手観音像トルソー)です。
左の画像をご覧ください。薬王院の仏さまよりさらに浸食がすすみ、もはや立像であることも周知できぬほどの出で立ちです。
しかし、見事なフォルム。女性をかんじさせるウエストのライン、そのどれもが完璧なフォルムで、削るものをすべてきずった、究極の彫刻作品ではないでしょうか?
当時の一流の職人さんが、最高の技術をかけつくった仏像が、雨、風、そして火災と、1000年もの時をへて、仏から、自然に帰っていく様に、最高の美があることを白洲さんは賛美されました。
仏さんが、人間の手で仏像となり、時をへて、また自然(ホトケ)に帰っていく・・・ なんて贅沢なことなのでしょう
日本の多様性と歴史の奥深さを、薬王院さんで感じました。次回の御開帳は、来年の5月の第四土曜日です。ぜひ、トルソーを感じに、茨城の地におこしください^^
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