歴史は、教科書の中でなく、普通の暮らしのなかにこそ、眠っていると幡谷は考えます。
そして、学校の教科書に足りない物の1つに体温があります。
とくに歴史の教科書は、文字の羅列がつづき、ひどく無機質に感じなかったでしょうか?
時代ごとに、ブチブチ切断しておしえていくせいで、眠気との戦いの中、1つ1つの時代が別の星でおこったような遠ささえ感じます
たとえば、明治維新後、一気に近代国家になったとしていますが、行政システムや、経済の面では、江戸時代に、その端をみることができます。事実、老舗といわれる企業群は、江戸時代に起業され、今なお、隆盛をほこっています。教科書は教科書、しかし庶民はたくましく、ずっとこの日本列島で暮らしてきたというのが、教科書にのらない本当の歴史です。
画像は、鉾田氏在住の井川くんが、FBで投稿していた鉾田市烟田小学校の守り神です。
じいちゃんの、そのまたじいちゃんの代から受け継がれてきた謎の人形は一説には1000年の歴史があるそうです。
井川くんの見解では・・・
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1、海からの疫災からまもるため
2、ある部族からまもるため
3、その他もいくつか
時代背景からすると、佐竹氏から守る。で、ないのは明らかですが、実は、村を守るためのはずですが、現在の集落の端にあり、しかもその集落に向かって立っています。
だから、不思議。海にも恐らく向かっていません。(方向音痴なので、確信なし(笑))
奥に控えるトトロの森のような原生林を背にして立っている。
だから、個人的な見解は
A,昔の集落は、現在とは全く違うところにあった。
B,森の中の疫災から人を遠ざけるためにあった。
C,海岸線が変形して、現在とは違っていたから。
などを考えています。
でも、90歳ぐらいの人の話では、「自分のひいじいちゃんの、ひいじいちゃんの、ひいじいちゃんの…。から続いているのは確か。」とかで、現在、様々な説の裏を取ることは、かなり難しい状態です。
あっ、長くてすんません
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幡谷も同じ考えで、村に入ってくる疫病をふせぐ魔除けの人形であったと考えます。
同じような風習は、秋田を中心に東北にみられ、秋田ではこれを「鹿島様」と言っているそうです
(秋田の鹿島さま紹介HPより)
http://www.geocities.jp/akitasaisei/ninngyou-ga
人形道祖神で最も有名なのが、この鹿島様タイプです。よくテレビや博物館でも取り上げられ人形道祖神と言えば鹿島様と思っている人も多いと思います。このタイプの特徴はなんと言っても巨大だと言う事です。3~4mの高さを持ち全身藁で作られ、秋田県の中でも中央、南部山間地域に集中しています。配置としては集落境に男神、女神どちらか1体だけ鎮座していることがほとんどです。道祖神や道切りなどはその意味合いから集落の全ての入り口(通常は2箇所)に置かれるとは思うのですが、1体しか鎮座していません。当然、製作には手間がかかる為、一方向だけになったとも考られるのですが、主道と間道との間に差異をつけたり、親村方向や宗教上繋がりのある村の境には置かないなどの理由が考えられます
村の入り口に置かれた鹿島様、鉾田と東北の風習は、おなじエッセンスを感じないでしょうか?
そして、大胆に推測を加えれば、これは縄文由来の習慣と考えます。
古代に暮らした人にとって、疫病が一番怖い病です。また医療が進んでいない時代には、病気は、祟りや、村人を襲う悪魔と考えていたことでしょう。そんな災いを村に入れないために、大きな守り神をつくったっというのが真相ではないでしょうか?
江戸時代と明治時代は、別に切れちゃいないように、1万6000年前の縄文時代も、それに続く弥生、そして現代まで、庶民の歴史は続いています。
画像は、縄文時代に登場した火炎式土器です。「芸術は爆発だ!」との名言をのこした岡本太郎は、火炎式土器を絶賛しています。3000年前にこんなアバンギャルドな土器をつくっていた縄文人がいたのです。そして縄文人も、今の我々につづくご先祖さんです。また人類の歴史のなかで土器は、縄文人が発明したという学説も有力です。世界中で発掘された土器のなかで、日本で発掘された土器が一番、古く、そして最多の数を誇っています。
火炎式土器をみて、手先の器用さはもちろん、独創的なフォルムをみれば、日本は1万年以上まえから技術大国だったと断言できるでしょう
縄文の匂いは、鹿島さまや、土器だけでなく、各地のお祭りに眠っています。
いまの日本列島は、氷河期や、川の堆積をへて形もかわっていますが、全国にある古い神社は、縄文時代から陸だったところにあるそうです。
これは、縄文時代から、神社の境内は人々の集会所だったという証拠なのではないでしょうか?
また、神聖な場所のため、あまり掘られることはないですが、境内に遺跡があることも珍しくありません。
画像は、諏訪大社の大祭、御柱祭りです。
諏訪大社は、全国の神社でも縄文の記憶が深く眠る神域です。御柱のお祭りの面白さは、その雄大さとは、反対に、誰も祭りの起源も、理由も分からない点です。
少なくとも、おじいちゃんの、そのまたじいちゃんの代から続いていたのは事実です。
他にも、蛙を串刺しにしたり、鹿の頭を何十個も奉納したり、ある意味、野蛮な、そして泥臭い、縄文の匂いを今に伝えています。
また縄文から続く風習として、お盆が挙げられます。仏教の行事と誤解される「お盆」ですが、ご先祖さんが、山から帰ってくるっという信仰は、神道。そして、はるか前の縄文時代から続いていると多くの研究者が指摘しています。
教科書にぶつ切りにされた日本史は、所詮、文字だけのこと。
DNAの研究がすすみ、縄文型と弥生型と、日本人の先祖をさかのぼる調査も始まっています。いまあなたの中にも縄文人の血が流れている(かも)しれません^^
本当の歴史は、教科書の中でなく、あなたとあなたをとりまく生活のなかに、ひっそりと眠っています。
国史会議では、地域の歴史、そして一族の歴史のなかに、本当の「日本」を探していきます^^
ほとんど妄想ですが、いい考察ができました
井川君ありがとうね!
ぜひ、読者の皆様も、あなたの街の不思議な風習をおしえてください
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