強いものが勝つわけではない!変化に順応できた日本の伝統の力とは?


 

 

 

 

 





「最も強いものが勝つわけでも、最も頭のいいものが勝つわけでもない。

もっとも変化に対応できる者が、生き残るのだ」 

(「進化論」のチャールズ・ダーウィン 意訳)

 

猿から人間になるまで、たいして変化もなくすごしてきた人類も、ここ100年の生活環境の変化は劇的すぎるものがあります。

そんな変化にとんだ世の中のなかで、変化に順応し、ビジネスを成功させてきた会社がたくさんあることをご存知ですか?

 

たとえば、いまや世界一のタイヤメーカーとなったブリジストンも、創業は、足袋(たび)屋さん。明治にはいり、足袋の裏に滑り止めとなるゴムをつけるアイディアを思いつき、大ヒット。その後も、ゴムつながりで、タイヤの製造販売に多角化を成功させ、今に誇る企業群をきづきあげました。

 

また、日立市の日立製作所は、鉱山のエレベーターの保守点検の会社として創業し、いまは世界ほHITACHIに発展しています。炭鉱の街というと悲観に満ちた目をむけられがちですが、どっこい日立は、炭鉱が閉山したあとに、まちが発展した稀有な例にもなりました。


この他にも、創業時には想像もつかない発展をとげた企業はたくさんあります。

そして、変化にとんだビジネスシーンで成功をおさめた企業には、変化をおそれず、なおかつ、1つの道を究めることで、次のチャンスをつかんだ背景があるのではないでしょうか?


日本人らしいものづくりにかける一意専心の魂の中に、変化を怖がらず挑戦できる未来の種が埋まっています。


 

日本青年会議所と、オルナミンCで有名な大塚製薬さんが展開する元気日本プロジェクト「すごいぞ、日本!」では、伝統に裏付けられた日本の底知れぬ力を紹介しています。とくに、世界に誇る日本のものづくりに注目し、全国各地域で技術に特徴がある会社や地域活性化の取組を取材させて頂き紹介させて頂きます。


日本の伝統の発信とリスペクトの続報を楽しみにしています^^ 


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第4回 : 

日本の底知れぬ力を巡る <北海道美唄市>

【 アルテピアッツァ美唄 】

アルテピアッツァ美唄はかつて日本有数の炭鉱都市だった美唄市の山間にある野外彫刻公園です。公園には地元出身の国際的に知られるイタリア在住の彫刻家、安田侃氏の大理石やブロンズの作品40点余が展示されています。炭鉱住宅街跡に再生された木々茂る山々や清流に囲まれた空間では、四季の移り変わりを満喫できます。木造2階建ての旧小学校校舎は数十年前の標準的建築様式で、地域の人々のみならず訪問者の郷愁を誘います。現在、ギャラリーそして一部は市立幼稚園として使用され、彫刻と将来を担う子どもたちが共存しています。元体育館や丘のふもとにある大理石のステージはコンサートや舞踏、講演会場ともなり、ギャラリーでは様々な展覧会が開かれます。

イタリア語で芸術広場を意味するアルテピアッツァ。そこでは現代彫刻が自然と深く調和し、人々を魅了します。アルテピアッツァ美唄は自然、人、芸術の新しいあり方を提示してきました。それは人母との中に、新たにあるいは改めて自分をみつめる時間と空間を息づかせるという、芸術の本質を呈す北海道美唄市生まれ安田侃氏の作品によって実現されています。「NPO法人アルテピアッツァびばい」の加藤智子氏は公園の作品について、美唄市が炭鉱の記憶・思いを残すため、地元出身の彫刻家・安田侃氏に制作を依頼し、作られた彫刻です。

美唄でも多くの悲しみを生んだ炭鉱事故が起こり、地底には犠牲になった炭鉱夫が今も眠っています。アルテピアッツァ美唄の中にある木造校舎、体育館はかつて炭鉱夫の子供が過ごした学び舎です。炭鉱町で過ごした人の故郷として、その記憶や思いを次の世代へ語る場として、美唄の歴史を繋いでいきます。

アルテピアッツァ美唄の中にある木造校舎・ギャラリー・体育館・アートスペースは、炭鉱町の小学校として1950年に開校した「美唄市立栄小学校」の校舎です。炭鉱のピーク時には児童1250人が在籍しましたが、閉山により児童数が約60名まで減少し、1981年に美唄市立栄幼稚園数が入った校舎の一部を残し閉校しました。

2007年春にオープンした「カフェアルテ」高い天井と大きな薪ストーブがあり、夏はテラスも席も用意してあります。思い思いにくつろいで頂ける空間は散策の後の一休みに最適です。

アルテピアッツァ美唄

北海道美唄市落合町栄町

 

【 日本の底知れぬ力を巡る 】

文化と文明が生み出す日本の底知れぬ力!その源泉のひとつは、世界に誇る日本のものづくり。全国各地域で技術に特徴がある会社や地域活性化の取組を取材させて頂き紹介させて頂きます。