徳育で自殺を止めさせる方法


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供のSOSが届かず、自殺という最悪の結果が起こってしまいました。

家訓づくりの推進する幡谷ですが、こうした包括的に取り組むべき問題にこそ登場できる場面があると自負しています。


そして幡谷の考える自殺対策の基本は「気にしない方がいい」っという考え方です。つまり、対策をねることが、かえって、問題を深くするという考えです。子供の自殺をとめるには、家訓づくりなど環境から悲劇を起こさない取組、そしてSOSうけとめるのはもちろん、「気にしない」っという大人の対応が必要ではないでしょうか?   


そして「気にしない」空気をつくるのは、周りの大人の責任です 

中学ぐらいの子どもって「するな!」といえば「する」もの。子どもをめぐる問題に答えがでないのは、メビウスの輪にはまり込んでしまっているからかなっと?考えます。いい子ちゃんを求めすぎるのも危険だし、かといって異常なSOSを見逃してはいけないし、対策というよりしっかりした「おとな」が子供のそばにいることで、問題の深刻化をふせげるっと考えます。とくにイジメが査定に響くことから、先生の間に、「見てみない」ふりをする空気があるとしたら、大問題です。いろんな意味で閉鎖された学校に、「おとな」とくに、異分子や異文化を背景にした存在がある意味って無限大に大きいとも考えます。

                             

 

これを「フィンランド症候群」という寓話で説明できます。フィンランドで行われたある実験とはこういうものです。

「健康状態が同程度である人々を2つのグループに分け、一方には医師の管理の下に厳密な健康管理を行い、もう一方には個人の自由のもとに生活させたところ、自由に生活していた人々のほうが発病・死亡のリスクが低かった」

この実験結果はさまざまな解釈と誤解を招きながら、世界中で語り継がれています。最善の策が最善であるとは限らない。むしろ、悪い結果を生むことさえあります。それがフィンランド症候群から学ぶことです。問題は、対策をすることで、「対策はしていました!」との逃げ口を関係者につくる後遺症です。マニュアルは所詮、マニュアル。でも、マニュアルに従うことで、関係者の立場ばかりを守り、子供のSOSを聞き逃しては本末転倒です。

 

エクスキューズをつくらないで、できることを全部やっておくことではないでしょうか?

 

大人の場合、選択しがたくさんあり、万策つきて?自殺に至ってしまうっと推測できます。しかし、子供たちにとっての万策とは、3択ぐらいしかなく、我慢する。助けを求める。自殺する。しかなさそうです。


子どもをまじえ命を大事する教育よりも、人生はいい塩梅で出来ていること、結構、まじめな人ばかりでなく、たくさんの価値観。たくさんの選択肢があることを伝えていくことが大事だと思いませんか?家訓はこの1つではない価値観をつたえるツールです。
対策をねりながら、うまく「気にしない」取組がもとめられそうです・・・ かえって難しいかな(*_*)

学校の先生はがんばっている! けど、所詮は井の中の蛙であって、多様性を伝えるにはちと心もとない。異分子がはいらないと、カエルは井の中にいることも分からないものです。

自殺のニュースをみると、地獄への道は善意の石で出来ているという格言を思い出します。悪いことをしていないはずなのに、結果は最悪っというのは、おのおのに、無自覚の非道の道がある証拠です。やれることはあっただろうに・・・ こんな結果が、一番、残念で仕方ありません
そして、このニュースは子供たちの深層心理に記憶され、この死が教訓になるどころか、二人目、三人目の悲劇の呼び水にもなってしまうというのが現状です。

気にしないように気にする。あるいは、ぐっと見守り、いよいよの時に全力で守ってあげる
無理なのかな?いやあきらめてはいけません。
関係者の努力と共に、はやく日本ちゅうに、家訓づくりプログラムや、徳パック、偉人伝が普及し心の面、そして環境の面から、こうした悲劇が起こらないようにするために、幡谷もJCもがんばる必要がありそうです。