手塚治虫のルーツは茨城にあり!ご先祖さんジャーニー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご先祖さんジャーニー


お盆にあわせ、ルーツをめぐる旅を提案させていただきます


家訓づくりプログラムの中では、家系図づくりに挑戦いただいています。

これまでの開催では、ご先祖さんの名前をかけない受講者が続出しています。これは家訓を作る上での一種のショック療法です^^;


本来であれば家計図づくりだけでも例会を開けるだけの意義があります
お盆はご先祖さんが還ってくるっとする日本だけの風習です。
ぜひこの機会に、親戚のおじちゃん、おばちゃんを交え、ご先祖さんの名前を書き出してみてはいかがでしょうか?


今回のブログでは、そんなご先祖さんジャーニーを自らの作品として発表した手塚治虫の作品『陽だまりの樹』を紹介します

手塚治虫のルーツは、常陸府中藩にあります。府中藩とは、水戸の親藩であり現在の石岡市にあった藩です。

センチメンタルから、ご先祖さんジャーニーへ! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陽だまりの樹は、漫画家・手塚治虫によって書かれた作品で、幕末の日本と、自らのルーツを描いた記念碑的作品です。

 

幕末期の日本を舞台に、当時の開国、西洋文明と西洋人の流入からやがて続く倒幕、そして戊辰戦争という時代の流れの上で、対照的だが友情で結ばれた男の人生を綿密に推敲されたストーリーで描きだしました。

 

 タイトルの「陽だまりの樹」は、水戸学の弁証家である藤田東湖が劇中で主人公の伊武谷万二郎へ語る当時の日本の姿です。19世紀後半、欧米が市場を求めてアジアへ進出した世界状況で、日本の安全保障を確保するには天皇の権威を背景に江戸幕府を中心とする体制再編により国体強化が必要であるとした東湖だが、幕府の内部は慣習に囚われた門閥で占められて倒れかけているとして、これを「陽だまりの樹」と呼んだことに由来します。

 

当時、中学生だった幡谷は、手塚治虫の作品の中で語られる藤田東湖の生き様と、幕末の動乱期、水戸が、次の時代をつくる期待を一身にうけていたことを学びました。

 

教科書では教えてくれない歴史を、手塚治虫の一族の歴史を通じて学びました。

これは、手塚治虫先生のルーツだけでなく、自分のルーツの中にだって、学びと気づきがあるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、陽だまりの樹の着想したきっかけは、手塚治虫の先祖の業績が再評価されたことに由来します。そして、この先祖を主人公に漫画をかくことを思いついたのです。その人物とは手塚の曽祖父・手塚良庵です。そしてその父、良仙は、水戸藩の親藩、御連枝である常陸府中藩(石岡藩)のお抱え医師だったことが判明しました。つまり、漫画界の巨匠・手塚治虫のルーツは、茨城にあったのです!

 

手塚良庵は江戸時代末期、江戸小石川三百坂に暮らし、府中藩の藩医として松平播磨守に仕えた。若いころは大阪で緒方洪庵が開いていた適塾の門下生として福沢諭吉と机を並べて蘭学の勉強に励み、江戸へ帰ってからは父・良仙とともに種痘所の開設に尽力した。晩年は明治政府が設立した軍の歩兵駐屯所医師となるが、出征先の大阪で赤痢にかかり病死した。

 この手塚良仙・良庵父子のことは長く歴史の中に埋もれていたが、医史学の研究をされている深瀬泰旦先生が1979年から81年にかけて発表した論文で初めてその事実が明るみに出たのです。

 

 またその深瀬先生の研究の過程で手塚良庵が手塚先生の祖先であることも判明する。

 そんなこんなで1981年、手塚先生は良庵を主人公とした大河マンガ『陽だまりの樹』を描いたのでした。

 

黒板にカリカリかくだけが学びではありません。

お盆休みを利用して、お子さんや、たくさんの親戚たちと、ルーツをめぐる『ご先祖さんジャーニー』に挑戦してみてはいかがでしょうか?


その旅路には、ディズニーランドや教科書のなかでは学べない本当の学びがあるはずです。

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コメント: 1
  • #1

    細川朋記 (土曜日, 30 12月 2023 17:32)

    肘に、良い、知識を、えられました