宗教戦争と日本人の役割

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■世界の宗教対立

 

仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教など、いずれの宗教も平和や救いを教えています。

しかし、世界では宗教の対立が後をたちません。

 

「信じるものは救われる・・・」っと、人々の生活に秩序と安定をもたらす信仰が、人々の嘆きの対象になっていては本末転倒です。

 

信じるものは救われるっとしながらも、じゃ、他人が信じる宗教が違っていたらどうなるでしょう?宗教はおのれの絶対性を信じるがゆえに、一転して、排他的となり、ときには戦いに発展してしまいます。これを宗教戦争と呼びます。現代でもイスラム国を代表とする中東情勢では、政治的な利害や信仰の違いが複雑さを増し、出口のない混乱が続いています。

 

ヨーロッパでも、カトリックとプロテスタントが争った1618~48年の三十年戦争では、欧州の人口の4分の1が犠牲となりました。火あぶりの刑や水責め拷問などの残虐行為も行われ、戦争で飢饉や腺ペストも欧州全域に広がりました。歴史は繰り返すの格言どおり、人類に幸福をもたらす信仰は時に、大きな禍(わざわい)を招くことにもなるのです

 

とかく、こうした宗教対立は、一神教のユダヤ、キリスト、イスラムの世界での出来事であって、日本のように八百万神の存在を認める多神教の風土では他人事のように感じないでしょうか?

 

しかし、日本もかつて深刻な宗教対立があった時代がありました。 法華経信仰を提唱した日蓮は真っ向から仏教の他宗派の教義を否定し、彼の教えのみの正統性と優位性を説き、また一向宗は、政治や経済と強い結びつきをもち社会を支配する時代があったのです。

 

 

■異教徒を殺すことにためらわない理由

 

多くの日本人から見ると宗教対立の深刻さがいまいちわかりません。牧歌的に「仲良くすればいいのに・・・」っと感じる人も多いのではないでしょうか?

 

しかし、日本の常識が世界の常識ではなく、むしろ日本人が異質であり、また日本だけが宗教をフラットに向き合える民族であることを知っておく必要があります

 

ユダヤ教、キリスト教の原典になった『旧約聖書』にはこんな記述があります

 

ヨシュア記6章12~24節から抜粋

「ヨシュアは民に命じた。「鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。  町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。(一部省略)

 角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。彼らはその後、町とその中のすべてのものを焼き払い、金、銀、銅器、鉄器だけを主の宝物倉に納めた。」

 

聖職者の方も眉をひそめる内容ですが、信じる神様のために虐殺をすることは、ある種の正義となっているロジックが成立しています

反対に、殺された異教徒にとっては、ユダヤの神様こそが悪魔と映る事でしょう。

 

お互いが正義と信じて戦争をすることの恐ろしさが分かっていただけたでしょうか?

 

汝、隣人を愛せっとは、キリストの言葉です。

しかし、その隣人とは、広く人類を指すものではなく、同じ信仰をもったものを指すことが多かったようにも感じます

異教徒への迫害はもちろん、人種差別や、奴隷制度・・・ 人の心に安寧をもたらす信仰が、ヒトの心を惑わしてきた。誰がいいとか、悪いとかではなく、人が信仰と向き合うためには、社会的な方便がないといけないのかもしれません。

 

 

 

■日本の宗教観をかえた3人の偉人

 

ヨーロッパや中東では2000年にわたり、宗教対立を続けています。そして今なお、多くの血が流されていることは由々しき事態です。キリスト教国が集まるヨーロッパでは、深刻な対立を糧に、信教の自由や政教分離、そして民主主義の導入と、壁をのりこえる努力を積み重ねてきました。しかし、日本は違います。ヨーロッパの国々が血をにじむような努力と対話で築きあげてきた秩序を400年も前から実現させてきた稀有な国なのです。

 

では日本だけが宗教と、フラットに向き合えるのでしょう?

その秘密には三英傑の知られざる活躍があったのです

 

 

信長の場合:

織田信長というと 比叡山の焼き討ちと、一向宗の弾圧という単語が頭に浮かぶ人も多く宗教に厳しい独裁者というイメージが先行しています。

 

しかし焼き討ちの後に、信長と天台宗(比叡山は天台宗の本山)の関係がどうなったか?についてみてみると意外な事実にきがつきます。確かに信長の焼き討ちによって延暦寺の権威は著しく低下したが、かといって天台宗自体が潰されたわけではないという点です。

 

これは、宗教団体による政治への介入がひどい場合のみ、手を下し、個人による信教の自由や、布教の自由さを担保していたことがわかります。

 

つまり今から400年も前に 『政教分離』を成功させたのです。

 

織田信長という人は、政治に口出ししたり、武装したり、統治者に歯向かうような真似をしなければ、どんな宗教でも寛容な心で接しています

 

日本に様々な宗教が入り込むことも、それぞれが熱心に布教活動を行うことも許しているのである

 

確かに織田信長は破壊者であったが、それは古いしきたりや利権に対して向けられた物であり、一度破壊が終われば民衆を守り、日本経済を発展させ、あらゆる宗教の自由を保護する守護者としての一面もあった。

 

織田信長とは、世界史上まれに見る 理想的な独裁者だったといえます。

 

こうした信長の一連の宗教政策によって、日本では宗教家が軍事力を持つことが出来なくなり、世界中でいち早く政教分離を実現させた国家となりました

 

 

豊臣秀吉の場合:

豊臣秀吉はキリスト教の布教を一旦認めますが、これを一転し、1587年に伴天連追放令を出し、キリスト教の巡回布教と南蛮貿易を制限しました。この背景には、キリスト教の信仰の速さ(20万人規模とも言われ、第二の一向一揆となる可能性があった)、仏教への打ちこわし、日本人の奴隷貿易などを憂慮したことが上げられます。

 

しかし、その後、伴天連追放令をあからさまに無視したフランシスコ会の布教活動と1596年に浦戸に漂着したサン・フェリペ号の事情聴取の際に、航海士ランディアから「スペイン人は征服者であり、他国に修道者を入れ、その後に軍隊を入れて征服をする」との報告を受け、一気に弾圧に動き出しました。これが日本二十六聖人の殉教につながります。

 

イエズス会側の日本進出の利益とは一体どのようなものであったのでしょうか?

 

それは明の植民地化を究極目標に据え、日本をその前線基地とするために植民地化を考えていた様です。高橋裕史『イエズス会の世界戦略』によれば、アレッサンドロ・ヴァリニャーノは1582年12月14日のフィリピン総督宛の書簡において、明征服のためには日本はキリスト教徒を増やし、彼らを兵として用いるべきとしています。また、これは後になりますが、1599年2月25日付けのイエズス会総会長宛ての書簡で、日本は海軍力が弱く、スペイン海軍をもってすれば九州または四国を征服できるでしょう、としています。

 

秀吉による唐入り(朝鮮出兵)は、誇大妄想ととらわれがちですが、日本を植民化から救うスペインとの闘いという側面を指摘する研究者もいます。

 

信長は、宗教弾圧により、政教分離を成功させました。

そして秀吉は、宗教を道具にした国の乗っ取りのシステムを見抜き、キリスト教の布教を禁止しています。ただし、布教をしなければ輸出入の自由は認めています。これは政教分離の次の段階である商教分離に成功したとも言えそうです。

 

 

徳川家康の場合: 

童話『北風と太陽』で例えると信長は北風で宗教を律し、家康は、暖かい太陽で骨抜きにした功労者です。

 

家康の功績は、一向宗やキリシタンの脅威に際し、檀家制度を作り、仏教から宗教の毒を無毒化していったことです。

 

まずは、お寺に今でいうお役所の機能をもたせ、戸籍を寺に管理させ行政の一端を担わせる仕組みを導入しました。

そしてすべての国民がいずれかの寺の檀家になることを強制し、個人は決められた寺の枠組みのなかで生涯を暮していくことにさせました。

 

こうした家康の宗教政策は、たくさんの効果を生みました

 

・檀家制度による安定した収入

・布教活動の禁止(檀家の取り合いの禁止)

・おかみに文句さえ言わなければそこそこの暮らしができる保障・・・

 

この効果は、家康が宗教側に食べさせた強烈な『毒まんじゅう』です。

いまだに仏教が葬式仏教と揶揄される所以も、家康が仕掛けた饅頭があまりに美味かったせいではないでしょうか?

 

 

■世界が日本を待っている!日本人の宗教観

 

多くの日本人は、クリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、神社に初詣に行く。こうした複数の宗教を横断して信仰してしまう日本は、世界でも珍しい寛容な宗教観を持っています。

 

世界では宗教戦争が頻繁に起きています。しかし日本でそういったことがほとんどないのは、先人のたゆまない努力の結果、政教の分離と、個人の信仰の自由を保障できたこと、そして、神道に根差した、他の宗教の信仰から、柔軟にいろいろなものを取り入れ、受け入れることができた点があげられます。

 

G7と言われる先進国首脳会議の構成メンバーのうち、キリスト教圏ではない国は日本だけです。

また、2000年にわたる宗教対立の歴史も、日本には無縁です。こうした背景は、イスラム教、キリスト教の対立にも第三者の立場で振る舞うことも可能とさせることでしょう。

 

信長、秀吉、家康の活躍により、世界で一番最初に宗教による社会的混乱を克服した日本。

その知恵は、いまこそ世界中で活かすべきです。

誰が偉いとか、誰が正しいとかでなく、他人との違いを受け入れる寛容さが日本にはあります。そうした日本発の、たおらかな価値観が、世界中に秩序と安定をもたらすのです。

 

世界は日本を待っている!

 

さいごに、現役のお坊さんである「松山大耕」さんのスピーチを紹介させていただきます。これは、京都で行われた、TEDx Talksでの発言です。このプレゼンテーションでは、日本で宗教戦争が起きない理由として、次のような指摘をされました。

 

松山さんはお寺に生まれながら、中学・高校時代はカトリックの学校に通っています。そのことを大学時代に訪れた、アイルランドのB&Bで女将さんに話したところ、こう言われたそうだ。

「なぜあなたの国では、そんなことができるの?アイルランドでそんなことをしたら、殺されても文句言えないわよ」っとカトリックとプロテスタント、血で血を洗う対立の歴史を持つアイルランド。いまも敬虔なカトリックが多いアイルランドでは、自分の信じる宗教以外に属する学校に通うのは、考えられないことのようだ。

 

こうした特徴は日本の仏教に独特のものだ。インドでは、戒律を守り、経典を学習し、瞑想の修行をすることが重視される。仏教発祥の地・インドから遠く離れた日本の仏教、もはや仏教ではなくなってしまったと言われることもある。しかし松山さんは、そうした意見に対してこう語る。

 

松山:私は、日本とインドの仏教の違いというのは、実はカレーに似ているんじゃないかな、と思っています。

 

インドではこのように、非常にスパイシーで辛いカレーをみなさん召し上がります。

カレーもインドが発祥の地なんですけども、インドの方が、日本の私たちが食べ慣れている甘くてまろやかなカレー、好きな方たくさんいらっしゃると思いますが、あのカレーを召し上がったら、「これはカレーじゃない」と、こうおっしゃるかもしれません。

 

確かに調理法、具材は違うかもしれませんが、ルーにお肉やお魚、そして野菜を入れて煮込んでご飯もしくはパンと一緒にいただく。このスタイルはインドでも日本でも共通しています。

 

しかし海外では、根底が同じであるにも関わらず考え方の異なる宗派が対立し、信仰を巡ってたくさんの戦争が起きてしまっている。

 

確かに全ての宗教において、その教義に忠実である、守ること、それは非常に大事なことです。しかし世の中にはもっと大切なことがあります。

 

それは信じる宗教が違っていても、お互いを尊重し、そして仲良くするということです。日本では色々な宗教を信じている人がいますが、宗教が違うからといって、争いやもめごとといったことはほとんど起こりません。

 

私は世界でも冠たる宗教都市、ここ、京都から、日本人のもつ素晴らしい寛容性のある宗教観、これをぜひ世界に伝えたいと思います。

そうすれば世界はもっと素晴らしくて素敵な場所になると、私は強く信じております。