■事件は現場で起きているんじゃない、会議室で起きているんだ!?
朝のニュースでブルーになることってないですか?
テレビをつけると、今日も凶悪事件を伝えるニュースがながれています。物騒な世の中になったものだ・・・っと感じる人も多いのではないでしょうか?
しかし、それは一種のトリックです。
実は凶悪事件の数(発生数)は年々下がっています。増えているのは報道の数だけです。つまり事件が増え、ニュースが増えただけなのです。
画像のグラフをご覧ください。昭和30年代をピークに少年犯罪が減少していることが分かります。
ここ10年だけみると増えているようにも見えますが、これはひったくりなどの犯罪を凶悪事件としてカウントしたために起こったことで、実数は年々下がっているのです。
事件が減り、ニュースが増えたことに対し、精神科医でもある河合隼雄さんは、「珍しい事件が増えた」と評しています。
事件は現場で起きているんじゃない、マスコミの会議室でおきているんだ!?
世界一安全な国にいながら、起りもしない凶悪事件におびえて暮らすのはおかしなことではないでしょうか?
21世紀は情報の時代と言われています。それは、スマホやPCの操作だけでなく、メディアから発せられる大量の情報とどう向き合うのか?という時代でもあるのです。
現代人の受け取る情報は、江戸時代の人の一生分の情報を1日で受け取っているとも言われています。どんな情報を大事に、そしてどんな情報に騙されていけないのか?凶悪事件の発生数と共に検証していきたいと思います
参照:スタンダード 反社会学講座HPより
http://pmazzarino.web.fc2.com/lesson2.html
■マスコミが伝えない不都合な数字
東日本大震災死者数 |
1万8549名 |
自殺者数 |
2万7858名 |
交通事故死者数 |
4411名 |
殺人事件死者数 |
1094名 |
(2012年度 統計調査を参照)
上記の事実をもとにざっくり考察します。
未曾有の被害をだした東日本大震災・・・の死者数より自殺が多いのっておかしくないでしょうか?
しかし、11年度以降の自殺者数は5年連続で減少しています。これは東日本大震災をきっかけに、「生きる」力を取り戻した人が多かったからと推測されかす。とくに、被災3県の自殺者数が激減しているのが特徴的です。
交通事故についても減少傾向。一番多かった1970年の1万6765名と比べると3分の1にっ 当時、「戦争」と例えられた交通事故数、累計すると太平洋戦争の死者数とも変らない・・・というのも恐ろしい事実です。
そして、ニュースをにぎわす殺人事件。でもその件数は年々へり12年度の1045名っと戦後最小だったのをご存知ですか? 秋葉原の通り魔事件や、親殺し、子殺しっとおどろおどろしい事件ばかりクローズアップされますが、それは「印象」にすぎません。
増えたのは報道であって、事件でないのです。
ちなみに、殺人事件の件数は世界的に一番少ない数字。なおかつ福岡のや○ざさんが、どんぱちしていても、銃による死者は、たった11名。この数字をアメリカさんと比べると9484名ですから天文学的有利さで「平和」が証明できます。
■もっと不真面目でいい日本人
報道を疑うことを提唱するメディアリテラシー。
そもそも、報道をうのみにしてしまうマジメさがこの問題の根本にはあります。世界一安全な国な日本ですが、国民の幸福度は46位とのデータがあります。
自分たちの国の豊かさをイマイチ実感できない日本人。ここで、同調査で幸福度1位に輝いた南国の楽園フィジーと比べ「真の豊かさ」について考えてみます。
2011年、2014年と「世界の幸福度ランキング」で一位を取ったフィジー。幸福度ランキング46位の日本がフィジー人から学ぶべきことはなんなのでしょうか。
カナダの世論調査会社「レジェ・マーケティング」が、世界58カ国で、「幸福」について、調査を行い、結果を発表しました。各国で幸せと感じる人が不幸と感じる人をどれくらい上回っているかを比較したものです
フィジアンはとにかく適当です!「フィジアンタイム」なんて言われるように、待ち合わせ時間にはもちろん誰も来ません。時間に対する感覚がのんびーりしていて急ぐことを知りません。 さらにレストランで注文したはずのものも注文通りには来ません。なんでもきっちりかっちりしていないと気が済まない日本人からしてみたら驚くかもしれませんが、彼らは本当に悪気はなく、細かいことは全然気にしない性格なのです!
老若男女、国籍すべて関係なくフレンドリーなのがフィジアンの特徴。日本人が来た!というだけで、お祭りなどの行事の時にしか作らない伝統的な料理を何時間もかけて作って振る舞ってくれます。さらに自分の友達やその友達のそのまた友達まで紹介してくれたりと本当にみんなフレンドリー。一期一会を大切にしていて、出会った人はみな家族なんだ!と話していました フィジーが笑顔であふれている理由がわかって頂けましたでしょうか。
もちろん今の日本のようなモノであふれた何不自由ない生活はできないかもしれません。しかし、本当の幸せと言うものはお金やモノだけがすべてではなく、心の豊かさというものだということがわかりますよね。 毎日時間に追われて忙しい生活をしている日本人は、たくさんのモノに囲まれて幸せそうに見えて本当は心が貧しいのかもしれません。そんな日本人こそフィジーに行って本当の幸せを学びに行ってみてください!幸せな気分で日本に帰ってくること間違いないと思います
参照:RETRIP
https://retrip.jp/articles/11513/?page=2
■吾唯足知の精神
幸福が足りない日本人。
幡谷は、その解決策として「吾唯足知」主義の提案をします。
吾唯足知(われ ただ たる ヲ知ル)とは、
幡谷訳によれば、 「満足は、限りないもの、また不安もしかり もっとごじゃっぺに生きましょう^^」という意味です。
「吾唯足知」というのは、もともと禅の用語です。
文字通り読めば「私は満ち足りていることだけを知っている」、深読みすれば、「満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である。」とも解釈できます。
この満足することを知るということは幸せに生きる為には、とても大切な事ではないでしょうか?
例えば今ではどこの家にも当たり前のようにある、洗濯機、冷蔵庫、テレビ、電子レンジ、パソコンなどの電化製品が、あなたの家にだけは一切なかったらどうでしょうか?皆の家にはあるのに自分の家にだけは無い、そんな状況を想像してみて下さい。私ならきっと、みじめで不幸な気分になると思います。
でもたった半世紀前の日本の家にはこれらの電化製品は一切なかったわけです。それでは当時の日本人が皆、不幸だと思って生きていたかといえば、そうではないと思います。
現在でも極端な話、アマゾンの未開地では電化製品なんか一切ない生活を送っている人がたくさんいます。彼らが不幸を感じて生きているかといえば、やはり違います。かえって我々よりはるかに幸せを感じて生きているかもしれません。
つまり皆がそれを持っていなければ、もっと極端に言えば、そんなものの存在を知らなければ、その状態で「満足することを知る」ことが出来るわけです。 そう考えると私たちは極めてしょうもないことに幸せや不幸を感じているのかもしれません
■世界一簡単に幸福をまねく「家訓」という提案
「書を捨て、町にでよう」とは寺山修司の言葉です。
これを家訓二スト風に解釈すれば、「テレビを消して家族の話を聞こう」となります
家訓のセミナーでは、「ご先祖さんご縁シート」と名付けた家系図づくりのワークショップを実施しています。ひとり欠けても今の自分が存在しない大事なご先祖さんですが、ほとんどの受講者は答えることができませんでした。
新聞をひらけば、様々な問題が提議されています。安保法制やTPP、原発問題に地球温暖化っと、どれも過誤できない問題ですが、それが本当に人生に影響するのか!?はまた別の問題です。
極論をいえば、海の向こうの戦争も、東京でおこるゴタゴタも、あなたの生活には関係ありません。それよりも、家族の話を、あるいは友達と、結論のないグダグダな話をしていきましょう^^
ご先祖さんの名前の分からない現代の日本人。
しかしちょっと前の日本では、当たりまえのようにご先祖さんの話をしていたと思います。理由は簡単、テレビも新聞もない社会では、それぐらいしか話す内容がないからです(*_*)
ご先祖さんは、あなたにDNAを託しただけでなく、人生のなかで得た経験や教訓を必ず子や孫に伝えてきたはずです。その金言は、どんな本や教科書よりも、あなたに幸せをもたらすバイブルになることでしょう。
世界一簡単に幸福をまねく「家訓」という提案には、ご先祖さんの知恵を現代に復活させるプロジェクトでもあります。そして、あなた自身も息子さん、娘さんに、人生でえた経験を教訓にかえ、次の世代に伝えていってほしいと願っています。
いま、日本という国は、みんなのご先祖さんの努力のもと、 世界一平和な国を遺してくれました。そして日本は、世界一長生きな国。さらに世界一家訓がある国? この素晴しい国の何が不安なのでしょうか?
吾唯足知。
欲望は限りなく、また不安におびえすぎるのも、改めなくてはいけない姿勢です。私たちの住む日本という国が、いかに人間にやさしさ満ち足りた国か、感謝し、そしてこの財産を未来につなぐ責任があります。
先達からの申しつけは実にシンプル
「ご先祖さんに感謝して、お天道さまに恥じない生活をおくりましょう 」
それだけのルールが守れれば、あなたも日本を築くワンピースです^^
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