■マスメディアは現代の神?
画像はメディアの危険性を端的に表したイラストです。
高度に発達した情報社会であっても、事件をどう切り取るか?は一部の人間の判断。そしてその判断には、なんらかしらの「意図」。そして「嘘」が忍ばされていることを知っておく必要があります。
江戸時代と、インターネットが普及した現代の「情報量」を比較すると、江戸時代の一生分が、現代の1日にあたるとの研究結果があるそうです。
溺れるほどの情報の海には、いい情報や、便利な情報だけでなく、ウソや、詐欺。そして人々を操作するための捻じ曲げられたニュースが含まれています。
欧米では、こうした情報過多の時代を生き抜く知恵として「メディアリテラシー」をまなぶ授業があります。
「メディアリテラシー」とは、情報が流通する媒体(メディア)を使いこなす能力。 メディアの特性や利用方法を理解し、適切な手段で自分の考えを他者に伝達し、あるいは、メディアを流れる情報を取捨選択して活用する能力のことです
アメリカでは、新聞の情報を信じる人は3割といわれ、日本の7割と比べると多くの人が、情報の受け取り方にポリシーを持っていることがわかります。また、新聞社の資本がテレビ局に入ることを禁止しており、互いに独立した立場で、情報の発信につとめる仕組みを採用しているそうです。
公平、公共をうたうNHKであっても、完全にフラットな情報の発信など可能なのでしょうか?
評論家の養老孟司さんは、著作『バカの壁』のなかで、公平、公共をうたうNHKは、現代の神か!?との問題提議をされました。
縄文時代の日本人が、魚や肉をみて食えるかどうか?をジャッジすることは生死を分ける重要な判断でした。
おなじように現代をいきる日本人にとっても、大量の情報のなかで、本当の情報か、ゆがめられた情報かを判断する能力は、必ず持っていなくていけない必須の能力であると断言できます。
■山口組より酷いメディアの暴力
先日、日テレが公共の電波をつかって、大胆なねつ造を事件を起こしました
首相のコメントをテロップをつかい反対の意味で発信したのです。
安部総理:
〇 選挙ためだったら何でもする、誰とでも組む。
こんな無責任な勢力に負けるわけにはいかないんです
日テレ(テロップ):
× 選挙のためなら何でもする
その後のこのテロップは訂正されましたが、
× 選挙のためなら何でもする
〇 選挙のためなら何でもする
無責任な勢力に負けるわけにはいかない
っと、句読点の位置を上手に使って、訂正していない訂正を操作していました(T_T)/~~~
もちろん、マスコミさんにも、編集権という権利があり、情報を加工すること、また視聴者が見やすいように工夫することは認められています。
しかし、内容を真逆にしたり、あるいは、神をきどり? テレビ、新聞が総出になって、あら捜しをしたり、犯人をつくってしまうことは、編集権を逸脱する行為ではないでしょうか?
■神は死んだ・・・
数年前、食品偽装が問題になったとき、たくさんの業者が叩かれ、廃業にまで追い込まれました
しかし、あの事件でおなかを壊したとか、食品衛生法に触れたというケースはありませんでした
食品偽装よりも、情報操作の方が罪深い・・・
山口組よりも、言葉を操るマスコミという名の暴力の方が怖いと感じていただけたでしょうか?
これだけわかりやすいケースでも、日テレが叩かれることはありません。
また、訂正放送がされたとはいえ、その時間、その瞬間にテレビをつけ改ざんされたテロップをみた視聴者の記憶をデリートできるはずもありません(ー_ー)!!
産業革命以降、人々は衣食住の欲求をみたし満ち足りた生活をおくれるようになりました。
しかし、その様をドイツの哲学者・ニーチェは「神は死んだ」と評しました。
しかし、その後、産業革命は、情報革命に変節し今に至ります。
ニーチェが嘆いた死んだはずの神を、われわれ庶民が「マスコミ」として偶像化してしまったのかもしれません。
マスコミは現代の神
しかし、それを信じるか信じないかは、あなた次第です。
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