ざっくり日本神話 「国譲り」編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アマテラスら高天原にいた神々は、「葦原中国(日本)を統治すべきは、天照大御神の子孫だ」とし、何人かの神を出雲に遣わした。大國主神の子らが力比べに負けると、大国主神も自身の宮殿建設と引き換えに国を譲る 

 

ながく研究者の間でも、神話の世界とされた「国譲り」の物語は、近年になり多くの遺物が発掘され、現実におこった歴史的な事実を下敷きに、神話が創作されたっと考えるようになりました

 

家訓二ストのざっくり神話シリーズ第二弾は「国譲り」の物語です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スサノオの子孫とされ、出雲を中心に大きな国をつくったオオクニヌシの物語は、神話として数多く現代に読み継がれています。古事記・上巻の中で3分の1を占める出雲神話が、歴史的に重要であったことを今に伝えています。

 

その中でもとくに有名な「因幡の白うさぎ」の物語を、「ざっくり」紹介をします^^

 

■因幡の白ウサギ 

 

むかしむかし、隠岐の島という小さな島に、一匹の白ウサギが住んでいました。

ウサギは毎日浜辺に出ては、海の向こうに見える大きな陸地に行きたいと思っていました。

 

 ある日の事、良い事を思いついた白ウサギは、海のサメに言いました。

「サメくん、ぼくの仲間と君の仲間と、どちらが多いか比べっこをしよう。君たちは向こう岸まで海の上を並んでくれ。ぼくはその上を数えながら飛んで行くから」

「いいよ」

 お人好しのサメは、白ウサギの言う通りに向こう岸まで並びました。

「じゃあ、始めるよ。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・」

 白ウサギはサメの上をジャンプしながら、向こう岸まで渡りました。

「やーい、だまされたな。比べっこなんてうそだよ。お人好しのサメくん。ぼくはこっちに渡りたかっただけなのさ」

 それを聞いたサメは怒ってウサギを捕まえると、ウサギの皮をはいでしまいました。

 

「うぇーん、痛いよ!」

 皮をはがされたウサギが泣いていると、若い神さまたちがそこを通りかかり、

「海水を浴びて、太陽と風に当たるといいよ」

と、言いました。

 

 ウサギが教えられた通り海水を浴びると、ますます痛くなりました。

 そして太陽と風に当てると、さらにもっと痛くなりました。

 そこへ、大荷物を持った神さまがやって来ました。

 

 その神さまは意地悪な兄さんたちに荷物を全部持たされていたので、遅れてやって来たのです。

「かわいそうに、まず池に入って、体の塩気を良く洗うんだ。それから、がまの穂(ほ)をほぐしてその上に寝転がればいいよ」

 ウサギがその通りにすると、やがて痛みも消えて、全身に元通りの毛が生えてきました。

 この心やさしい神さまは、のちにオオクニヌシノミコトと呼ばれ、人々にうやまわれたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、オオクニヌシは、出雲を中心におおきな国をつくります。

しかし、その国の支配をめぐって、神々の戦いが始まります。これが「国譲り」の物語です

 

 

■国譲りの物語

 

国譲りで、活躍するのが、タケミカヅチの神です。

 

大国主命が治める豊かな出雲の国を見て、天照大御神(伊勢神宮の祭神)が自分の子孫が治めることを大国主命に迫ります。

稲佐の浜で二人の神は、剣を抜き逆さまにして柄を下にして突き立て、その剣の切っ先の上にあぐらを組んで座りました。

 

 「私たちはアマテラス様の命令できた。

葦原中国は我が子が統治すべきだとアマテラス様はおっしゃっているが、お前はどう思うか?」と強い口調で言いました。

 

ふたりの息子に反対されるものの、タケミカヅチの活躍で、出雲の国は天照大御神の治める高天原に譲られることとなります。この時、国を譲るにあたり出雲大社の祭神である大国主命は「壮大な御殿を造ってほしい」と願い出ます。

 

この時に造営されたのが出雲大社の始まりです。

 

こうして葦原中国(日本)は、オオクニヌシからアマテラスの子孫が治める国へと「国譲り」が実現したのでした・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■「国譲り」にゆかりの深い神社

 

「国譲り」で活躍されたタケミカヅチは、古来、武将の守り神として信仰されました。

茨城県の鹿島神宮の主祭神として祀られています。 そして同じく活躍をされたフツヌシは、千葉県の香取神宮の主祭神として祀られ、利根川を挟み、国の安寧を見守っています。

 

創建は皇紀元年(紀元前660年)と伝えられ、平安時代に「神宮」という名のついた神社は、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけ。特別な崇拝を集めた神域でもあります。

 

伊勢神宮 ・・・ アマテラスを祀る日本の総氏神

鹿島神宮 ・・・ タケミカヅチを祀る武神。

香取神宮 ・・・ フツヌシを祀る(国譲りの際、活躍された神)

 

出雲大社 ・・・ オオクニヌシがご祭神。国譲りの際に約束された天にも昇る社をもつ

諏訪大社 ・・・ タケミナカタ(大国主の息子)。諏訪から出ないことを条件に国譲りを承諾        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■神話の世界が現実に・・・ 発掘でよみがえる古代の記憶

 

1984年荒神谷遺跡で、358本の銅剣が出土、さらに銅鐸6個、銅矛16個が発見されました。つづく96年には加茂岩倉遺跡が発見。39個のもの銅鐸が出土。それまで常識を覆す発掘品の数々に、考古学の空白地域といわれた「出雲」に巨大な勢力があったことが証明されました。

 

産経新聞は

「高天原に例えられる大和王権が、出雲勢力を駆逐したという大和中心主義を記紀が強調したことを如実に示す。とはいえ、古事記・上巻の中で3分の1を占める出雲神話が、歴史的に重要であることは揺るがない」と記事をよせました

 

天に届く宮殿の存在を発掘が証明

平成12年に本殿南側で前代未聞の巨大建物の柱が出土。現在の本殿は高さ24メートルだが、平安時代の文献史料から、かつては高さ48メートルもあったとされる。しかし、現代の15階建てビルにも相当する高層建築を平安時代に建てられるはずはないと、建築学者からも疑問視され、出雲神話はフィクションといわれ続けた。

 

しかしこのときの発掘で、太さ1メートル以上もある柱3本がしっかり束ねられた状態で見つかった。これほど太くて強固な柱は高層神殿にしかあり得ず、実際に建てられていたことが証明されました。

 

出雲地方では、数々の遺跡が発掘され神話のエピソードが決してフィクションでないことを証明しています。国譲り伝説の中で、オオクニヌシは天にそびえるほど高層の神殿を建てることを条件にしたとの古事記の記載を証明した大発見に、神話を無視しつづけてきた歴史学会の姿勢を糾弾する声もあがっています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■嘘みたいな本当の話 

 

平成15年、皇后美智子様が出雲大社に参拝されて詠まれた歌が、門の脇に大きく掲げられています。

 

 出雲大社に詣でて

国譲(ゆづ)り祀(まつ)られましし大神の奇しき御業(みわざ)を偲びて止まず

 

国譲りの物語は天皇家の祖先の物語です。2千年以上後の現代から遙かに偲ぶ一句をみると「国譲り」の大きな恩を天皇家の皆様はいまも感じておられることがわかります

 

 

ネットでも神話の絡んだ婚約に話題騒然  

<高円宮家>次女典子さま婚約内定(毎日新聞) 

出雲国造(出雲大社宮司)を代々つとめる千家家はアメノホヒの子孫で、家系としてはたぶん天皇家に次いで古い。日本でいちばん古い家系と2番めに古い家系の縁組ということになる。

   

創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきました。 

この出雲国造家に当たるのが高円宮典子さまとご婚約された千家国麿さんの家です。

 

 初代がアマテラスの次男と伝えられる出雲国造家の一族が、2000年を超える時を経て、天皇家に一番近い宮家から縁組で結ばれる奇跡・・・

 

学校では教えてくれない神話の世界。

しかし、その神話は夢物語でなく、確実に今も息づいているのです。

すごいぞ日本^^