皇居勤労奉仕団について

みなさまは、「皇居勤労奉仕団」の活動を耳にしたことがあるでしょうか? この度、皇居、赤坂御用地での清掃活動をおこなう「勤労奉仕団」に参加させていただきました。

 

「勤労奉仕団」とは、全国各地から多くの人々がグループを作って上京し、皇居の中で四日間、ボランティアの清掃活動を行っています。その数、平成に入ってからの実績で言えば、一年間を通じておよそ一万人。この活動のことを「皇居勤労奉仕」と呼ばれています。

 

清掃活動はまったくの無報酬であるのはもちろん、交通費も宿泊費もすべて自己負担です。それでも北海道から沖縄まで、約一万人もの人々が毎年、皇居での勤労奉仕を続けています。一般にはほとんど知られていないことかもしれません。

 

今回、家訓づくりの師である山口秀範先生に誘っていただき、福岡からの奉仕団の一員に合流させていただく形で、念願の奉仕団に加わることができました。画像は、奉仕の記念品として、陛下からの授かり物として賜った下賜品のお菓子です。幡谷家の家宝として仏壇に供えさせていただきました。

 

(以下 宮内省HPより 抜粋)

皇居勤労奉仕は,昭和20年5月に空襲で焼失した宮殿の焼け跡を整理するため,同年12月に宮城県内の有志が勤労奉仕を申し出たことが始まりであり,それ以降,今日まで奉仕を希望する方々をお受けしています。

 

現在の皇居勤労奉仕は,連続する平日の4日間,皇居と赤坂御用地で除草,清掃,庭園作業などを行います。広い場所ですから個人でというわけにはいかず,15人から60人までの団体による参加をお願いしています。団体は地域の集まり,職場の仲間,学生有志などの構成が主です。手続要領及び詳しい要領を下に掲載しておりますので,ご覧ください。 なお,申請は郵送のみとなります。電子申請,FAXでの申請は出来ません。ご不明な点がございましたら,ご遠慮なく下記照会先にお問い合わせください 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京のど真ん中に35万坪!? 

知ってて知らない皇居とは?

 

皇居は、元々徳川家康がきづいた江戸城に、明治維新後、天皇さまのご在所として整備しなおされたものです。戦前は、「宮城」(きゅうじょう)と言っていたそうです。

 

その広さは、実に35万坪(*_*) 敷地内は、御所や宮内庁などの施設があるものの基本的には手つかずの自然が残されています。日本人には当たり前かもしれませんが、東京という世界有数の大都市の真ん中に、広大な森を抱えていることは、驚愕の事実ではないでしょうか?

 

皇居内には、天皇陛下ご自身がお手植えさえる田んぼや、豊かな自然が守られ、ホタルやトンボ、タヌキなどがおり、近年では、オオタカの生息も確認されています。皇居内では害虫の被害や、松くい虫などもいないとのこと、その理由は豊かな自然のバランスが生態系を保ってくれているからというから驚きです。

 

ちなみに、都会では社会問題となっているカラスの被害も、皇居内に限って言えば、天敵でいる猛禽類が繁殖している森はカラスにとっては住みにくいらしく、あんまり飛来してこないそうです。

 

今回、奉仕活動として、宮中の森に足を踏み入れる機会にも恵まれました。あまりに森が深く、自分が東京のど真ん中にいることを忘れてしまう程の空間です。バブルの時には、皇居の土地をうれば、アメリカ全土が買えると言われていました。ただその空間にはただただ森がひろがり、限られた人間と、小鳥や小動物だけが暮らしている・・・ 尋常じゃない程の「豊かさ」と有難さを感じる奉仕となりました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皇居勤労奉仕団誕生の秘話

 

昭和天皇御製

戦にやぶれしあとのいまもなほ民のよりきてここに草とる

 

SAPIO 2009年2月11-18日合併号より 

勤労奉仕団、GHQの占領下の中、決死の覚悟で宮城県の青年団の申し出から始まりました。

掃除1つで「決死」?と感じるのは現代の感覚です。終戦間もない昭和20年、戦前の価値観は否定され、皇室への尊崇の念を表すことさえはばかれた時代、GHQ本部の目と鼻の先で奉仕活動を行うことは、逮捕はもちろん、命の危険と隣り合わせの決断だったのです。奉仕団の出で立ちである白いハチマキは、当時の参加者の「覚悟」を今に伝えています。

 

 

【GHQを驚かせた占領下の「皇居勤労奉仕」誕生秘話】

 時は昭和20年12月。つまり終戦の年の年末のことだ。当時、日本は言うまでもなく占領下にあった。皇居も各門にはアメリカ兵が見張りに立っているありさまだった。

 

その皇居自体も、外観こそ戦前と変わらぬ様子であったものの、一歩、中に入ると戦災の跡が歴然として痛々しいまでの変貌ぶりだった。木造の建造物はほとんど焼失していた。明治時代に建てられた端正雄大な宮殿も焼け落ちて礎石や瓦、レンガなどが散乱し、目も当てられない状態だった。手入れが行き届かないため、雑草があちこち伸び放題に生い茂っていた。これは皇居前広場も同様だったから、外からも一目瞭然にわかった。

 

そんな折、皇居の坂下門の門外に60人ばかりの青年の一団が到着した・・・・

 

 

【皇居の清掃奉仕を申し出た若者たち】 

この若者たちは、門衛の皇官警察官を通して、次のように申し入れたという。

「私たちは、宮城県栗原郡の各村のものでありますが、二重橋の前の広場に雑草が生い茂って、たいへん荒れている、ということを聞きましたので、草刈りやお掃除のお手伝いのため上京してきました。‥どうかお手伝いさせて下さい」と。

 

このことを筧素彦総務課長(当時)から電話で知らされた木下氏は、ただちに筧氏と一緒に門外で彼らと面会。その熱意に打たれて「一同の厚意に謝するとともに、遠路はるばる上京されたのだから、二重橋前もさることながら、皇居の内は人手不足のため、宮殿の焼跡には、いまだ瓦やコンクリートの破片が到るところに山積している。どうか、皇居の内にきて、それを片付けては下さらぬか、と提案したところ、この予期しない言葉に一同の喜びはたいへんなものであった」--。

木下氏の証言によれば、皇居勤労奉仕はこのような形で始まったことになっている(同氏『皇室と国民』。)

 

当時の交通事情を考えると、宮城県栗原郡の地元から上京してくるだけで、大変な苦労があったはずだ。しかも終戦直後だから経済情勢は極めて悪く、食糧の入手さえ困難な状況下でのことだ。その上、皇室そのものの行く末もなお不透明だった頃である。

 

そうした中で、60人もの若者たちが意を決して上京してきたことは、じつに驚くべきことと言ってよい。ただし、木下氏の証言だとも六十人の青年グループが突然、皇居に押しかけて「手伝い」を申し出たように受けとれるが、じつはこれ以前に勤労奉仕の受け入れをめぐるやりとりがあった。

この点については筧氏の証言がある。

 

【宮内省 総務課長の勇断】

それによれば、ことのいきさつは以下の通りだった。この年の11月22日、宮城県から上京してきた二人の人物が宮内省(当時)を訪れた。この時、二人に応対したのが筧氏だった。

 

この二人は、地元で指導的役割を果たしていた。一人は青年団運動のリーダー、鈴木徳一氏、46歳。もう一人は東久邇宮内閣の緒方竹虎国務大臣の秘書官だった長谷川竣氏(のちの衆議院議員)、33歳。彼らは現今の思想悪化を憂いつつ、なお皇室のことを思って荒れた皇居の清掃にあたりたいと願う青年男女がすでに地元に60名にもおよんでいることを告げ、勤労奉仕の許可を求めたのであった。

 

この熱意ある申し出に対し、筧氏はどう対応したのか。氏の証言を引用しよう。

「当時はすでに占領下にあって、ことごとに占領軍の抑圧を受けている極めて酷い事情の下にあるので、こういう申し出をされる方も命がけなら、それを受け入れる決断をする方もまた異常の覚悟を要する状態でした。(中略)これを組織による意思決定の形をとったら、(中略)万一の場合、上の方にご迷惑が及ぶことがあっては一大事であると考え(中略)一切の責任を負って自分だけの独断でやることを決意しました」(日本教文社編『皇居を愛する人々』)

 

かくて筧氏は、信頼するただ一人の上司にだけ打ち明け、その内諾を得るや、ただちに二人に勤労奉仕の許可を申し渡したのであった。何とも恐れ入った勇断と言うほかない。

 

この時、鈴木・長谷川両氏は、何の書類審査もなく即日、許可されてビックリ仰天したという。それも無理はない。ただでさえお役所仕事というのは手続きが煩雑で、時間がかかる。ましてや天皇陛下のお側近くで仕える宮内省に、まったく前例のないことを申請しようというのだから、二人とも相当に手間暇がかかることは覚悟していたはずだ。それなのにただ一回の口頭の申し入れただけで、ただちに願いが聞き届けられたのだから。 

 

【拡大する勤労奉仕にGHQが疑念】 

宮城県栗原郡の若者たちは「みくに奉仕団」と名乗った。正確には男性55名、女性7名の計62名で、団長の鈴木氏と副団長の長谷川氏を除き、ほとんどが22、3歳の若さだった。苛酷な占領下のことゆえ、彼らの行動に対しGHQがどのような対応をとるか予測がつかず、「娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる」という(木下氏証言)。

 

むろん、占領当局によって拘束されるようなことはなかった。ばかりか、奉仕の初日に一同にとって思いもよらぬ感激的な場面が待っていた。みなの前に昭和天皇が姿を現されたのだ。

鈴木氏の証言を紹介する。

 

「奉仕はだんだん進んで正午近くになった頃です。静かだった奥御殿の石垣の上に、かすかに人の群の気配がするので、ひょっと見上げると、陛下がお立ちになって、こちらをご覧になっていられます。(中略)お付きの方が見えて、陛下がお呼びだという。私は作業衣のまま石段を上って御前にまいりますと、木下次長さんがお取次ぎで、いろいろ御下問を賜りました。(中略)やがてご政務所へお帰りになりましたが、その御後姿を拝し一同期せずして君が代を合唱しました。誰の眼にも涙がいっぱい光っていました」(前掲書)

 

その後、女官を伴って香淳皇后もお出ましになった。両陛下のお出ましに一同がどれほど感激したか、察するに余りあるだろう。

「みくに奉仕団」のことが各地に伝わると、我も我もと次々と奉仕団が結成され、勤労奉仕の申し出が宮内省に殺到した。何しろ翌21年には早くも188の奉仕団が名乗りをあげ、一万人余の人々が勤労奉仕に参加しているのだ。ピークは昭和26年で、何と4万人近くの国民が参加した(奉仕団は831団体)。

 

こうした動きに対し、GHQもさすがに疑念を抱き、背後に強力な組織があって、巨額の資金を投じ、彼らにとって良からぬ策謀をめぐらしているのではないかと、独自の調査を行ったらしい。その情報をキャッチした海外のメディアが奉仕団に取材をかけるようなこともあった。総力戦に敗れた国の君主制は第一次大戦時のドイツや第二次大戦時のイタリアのように滅びるのが通例だ。なのに日本の皇室の場合、滅びるどころか多くの国民がボランティアで皇居の清掃活動を行っている。彼らが不審に思うのも当然だ。だがもちろん、そこには何の背後関係もなかった。人々のひたむきな皇室への思いだけがあったのだ。

 

 

【これまで累計 約120万人が奉仕】

 占領下から独立回復後、昭和から平成へと時代は推移しても、皇居勤労奉仕は一年の中断もなく続けられている。これまでの参加者は、昭和20年から平成19年までの累計で約120万人にも達している。

 

この勤労奉仕は、15名以上60名までの奉仕団を結成し、奉仕日(4日間)の半年ないし1ヶ月前までに名簿を提出して申し込めば、原則として誰でも参加することができる(詳しくは宮内庁のHP参照)。だから高校生や大学生などの奉仕団もある。

 

奉仕期間中の1日、やむを得ない事情がないかぎり、今も天皇・皇后両陛下から直接、お言葉をいただく機会がある。それは天皇と普通の国民が最も近づく貴重なチャンスと言ってよいだろう。

 

 あらためて昭和天皇の御製の歌を紹介させていただきます。

戦にやぶれしあとのいまもなほ民のよりきてここに草とる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界中から尊敬される日本の皇室

 

画像は、先に来日され、公式実務訪問賓客として御所に招かれたサウジアラビアのムハンマド副皇太子殿下との会見のご様子です。副皇太子殿下が天皇陛下にサウジアラビアご訪問をお求めになるなど、会見は終始穏やかな雰囲気で行われたそうです。

 

このご会見についてはアラブ諸国でも報道されているのですが現地の人々に衝撃を与えているのは、ご会見の様子を撮影した一枚の写真。陛下と殿下、そして通訳の方の椅子と、花瓶の置かれたテーブルのみという、空間の究極的なシンプルさに、多くの方が感銘を受けています。

 

権威をあらわすために、金蘭豪華な諸外国の王宮にくらべ、あまりにシンプルで、それでいて気品のある空間に、海外では、「欧州の王宮と全然違う」 皇居を特集した番組がつくられたとのこと日本人には当たり前にみえる光景でも、世界に人々には驚きをもってむかえられているようです。この一枚の写真が示唆することは数え切れないほどあるのかもしれません。

 

日本の皇室の歴史は大変古いものです。西洋の政治がはじまるずっとずっと前から、天皇さまは日本国を率いていらっしゃいました。

 

日本は世界で一番古い国

 

あまり知られていない事実ですが、日本はギネスにも認定される世界で一番古い国です。あなたはその事実をご存知でしたか?

 

日本の建国は、神話上は紀元前660年2月11日(旧暦:神武天皇元年1月1日)、初代天皇である神武天皇が即位された日までさかのぼります。歴史学者の中には、4世紀頃の建国だと指摘する声もあるものの、日本の次に古いのがデンマークで建国は10世紀ごろであることを考えると、「世界一古い国」という事実は動かしようのない事実です。

 

これは、ギネスや、アメリカ合衆国のCIA公式サイトでも掲載されています。また、日本の天皇家は、世界では現存する最古の王朝であり、現存する唯一のエンペラーであり、現存するただ一つの神話をバックボーンに持つ血統です。

 

世界の王室が集まった時、天皇陛下が最も上座に座る

日本の天皇陛下の権威はローマ法王と並び、世界最強クラスです。しかし、天皇陛下の権威を日本人は知らず、誤解されている部分も多くあります。海外でもその権威は健在で、エリザベス女王も、アメリカ大統領よりも上の存在です。世界で唯一「エンペラー」と呼­ばれる存在で、日本人がその権威を知らないのは、おかしなことです。

 

その理由は、この2つです。

・天皇家は世界で最も歴史のある王室である事。

・「King」よりも格上とされる「Emperor」であるから。

 

もし、ローマ法王と天皇陛下、そしてエリザベス女王と、アメリカ大統領が同じタクシーに乗ったとして、天皇陛下(emperor)≧ローマ法王(Pope)>英国女王(Queen)> アメリカ大統領etc(president)っと、上座は天皇陛下が座ることになるのです。私達日本人として、天皇さまの正しい知識と情報とふさわしい見解を持ちましょう。

 

天皇の基礎知識

古くから日本人にとって、「天皇=皇室」は空気のような存在だったのかもしれません。皆様は、京都御所を見たことがありますか? 御所には外敵を防ぐための堀などはなく高さ6尺程度の土塀があるだけです。皇室は、誰も攻めてこない・・・との共通認識があった証拠です。いつの時代の国民も御所を攻めて天皇にかわろうという発想はしませんでした。王様の警備がスカスカなんて、世界広し日本だけの現象です。

ここに日本の皇室のすごさが隠されています

 

古くは「スメラミコト」「スメロキ」「スベラギ」等と呼ばれ、語源としては7世紀中頃以降で、中国語の天皇・地皇・人皇の一つに由来しており、スメラミコトの漢語表現といわれています。古代日本では権力の頂点をオオキミ(大王)といったが、天武天皇(672年 - 686年)ごろから中央集権国家の君主として「天皇」が用いられるようになりました。初代・神武天皇から、現上天皇の明仁(あきひと)様まで、125代の天皇が即位してきました。

 

戦前、天皇陛下が君臨する政治体制を「国体」と表現していました。この「国体」は神話の世界から2600年間。史学的に証明できる一番古い天皇からさかのぼっても1500年間、たえず守られてきたものです。馬上の天下は馬上で終わるとの言葉があります。「馬上」つまり武力で奪った天下は、いつか武力で奪われるもの、しかし日本の御皇室は、奪ったのでもなく、もらったのでもなく「ある」もの。そして、長い間、国民に愛されてきた事実は、「必要とされてきた」証でもあります。

 

 

平成のご皇室のありかた

 

先代の昭和天皇さまは、戦後の巡幸で国民に勇気を与えてくださいました。そして今上天皇さまは、日本列島に自然災害が襲う度に、被災地にお姿をおみせになられるようになりました。東日本大震災の際には、いち早く国民にむけてのビデオメッセージをお出しになっただけでなく、痛みを共に感じるために、計画停電にあわせて、電気をつかわない生活を実践されていたそうです。

 

巡幸も、宮城、岩手、福島の3県だけでなく、埼玉、千葉、茨城の被災地もめぐられています。忘れられた被災地といわれる茨城には首相も大臣もくることはありませんでした。しかし、陛下がいらっしゃることになり、その後の復興のスピードが加速的に進んだと住民の方が教えてくれました。戦後の混乱期、そして被災地にあって、国民が傷つき打ちのめされた時、弥勒菩薩のように現れる陛下は、本当の意味で現人神なのかもしれません。世界的な権威であり、政治家であり、無私のひとであり、どれだけ賛美の言葉を並べても、ご皇室の皆様をあらわす言葉がみつかりません

 

中国では易姓革命という考えがあって、「徳」のある君主が徳の無い君主に代わって天下を治めるとされています。実際に有史以来、何度も王朝が変わっていますが、日本では王朝の交代は起りませんでした。

 

19世紀 イギリスの思想家「スマイルズ」は、

国としての品格は、その国民が自分が偉大なる民族に属するのだという感情によって支えられ、そこから力を得るものである。」

と述べています。

 

世界には190国あまりの国があるそうです。1度しかない人生、自分が生まれた国を愛せない人がいるとしたら、それは寂しいことです。

 

「皇居勤労奉仕団」として4日間の活動に従事してきましたが、奉仕団ができる草ぬきや落ち葉ひろいは、広い皇居においては、お手伝いできる最小限のことに限られます。悠久の歴史をつむいでいらっしゃった天皇家の皆様の御偉功に感謝し、恩に報うためには、草抜きをする奉仕団に加わるよりも、日常を頑張ることこそ、「報恩」にあたいします。

 

経営者は立派な経営をすること、お父さんお母さんは家庭をまもり子育てをすること、国民それぞれが、一所懸命に、それぞれの場所で、懸命に働き、喜びを分かち合う日々を送られることこそ、天皇皇后さまが望んでいらしゃることだと、確信しています。

 

ぜひなかなか機会はめぐまれないですが、なんとか「皇居勤労奉仕団」にご参加いただくことを強く強く推奨します。

 

 

「お盆」から考える日本の文化

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫁の実家でお盆をすごしています

義父をなくし、いつも独りにさせてしまっている義母ですが、この数日だけは、孫に囲まれ賑やかに時間を過ごしているように感じます

 

お盆って本当にいい習慣です

そして、お盆には必ず、日本人として忘れてはいけない終戦祈念の日がやってきます。

 

毎年、この日に何を書くか?頭を悩ませますが、感じたことを感じたままに書いてみます

 

 

家族という社会を構成する最小の単位から、社会変革をめざす家訓ニストですが、家訓をつかったコミュニケーションで提唱するのは、ありきたりの普通の1日の大切さです。父ちゃんがいて、母ちゃんがいて、ご飯がたべて、そしてお休みなさい!と、寝ることができる。

 

それ以上の幸せってあるのでしょうか?そして、現代に暮らすぼくたちは、幸せも、不幸も、抱えすぎなのかな?とも感じています。

  

お盆になると、ご先祖さんが、山や川から、戻っていらっしゃいます。実家では、お義母さんが、姪っ子にこんな話を聞かせていました

 

義母:「キュウリに足をつけるのは、馬に見立てて、ご先祖さんが早く帰ってこれるように、そして、茄子に足をつけるのは、牛に見立てて、ゆっくり帰ってもらうように」っと・・・

 

ご先祖さんから受け継いだ伝統を、おばあちゃんから孫へ。手渡しできるというのも、お盆の素晴らしさなのではないでしょうか?

  

いつも静かな田舎の集落が、お盆のときだけ、子ども達の声があふれ、山、川、田んぼ、そして神社での盆踊り・・・

 

消えつつある日本の原風景が、お盆の数日だけ復活しているのかな?と最近感じ始めました。おじさん、おばさん、従弟っと、普段、都会にすみ、顔を合わせない親戚が集い、亡き祖先のお話しや、たくさんの話しができるのもお盆の良さ、そして日本の夏の素晴らしさです。

  

そしてお盆の間には、必ず8月15日がやってきます。

 

連合国側のポツダム宣言をうけいれ、日本が降伏をした終戦祈念の日です。多くの人命を失った戦争という悲劇のなかで、死してもなお、守りたかったものは、自分の家族の平穏、そしてお盆に出現する日本の原風景だったのではないでしょうか?

 

戦争という悲劇を繰り返してはいけないのは、もちろん、日本の原風景を守り、そだて、次の世代に受け継ぐことが、亡き英霊への弔い(とむらい)であると家訓ニストは考えています。そして、幡谷にとっての手法の1つが家訓づくりを弘める運動なのです。

  

終戦の日となった8月15日。お盆と、終戦の日が重なっているのは、偶然ではありません。

それぞれの場所、それぞれの愛しい人と一緒に、今日という1日に感謝し、そして、自分を創ってくれたご先祖さんに感謝しましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも「お盆」とは?

 

(参照:大野奏神社

http://oonominato.or.jp/knowledge/20130811/

 

そもそも「お盆」とはどんな行事で、何をする日なのでしょうか?

一般的に「お盆」とは仏教行事である「盂蘭盆会」(うらぼんえ)を指します。

 

盂蘭盆会とは「地獄の苦しみをうけている人々をこの世から供養することの功徳によって、その苦しみを救いたいという行事」ということらしいです。地獄でご先祖様が苦しんでいるのであれば助けたいと思うのは今に生きる我々の使命かもしれませんね。であるからお盆にはお墓にいき、ご先祖様の供養をするのでしょう。

 

でも皆さんがお墓の前で手を合わすとき、次のことを考えませんか?

 

いつも見守ってくれてありがとうございます。

元気に過ごせています。ありがとうございます。

 

など、感謝の気持ちを伝えることはありませんでしょうか?

 

この感謝の気持ちでお参りすることこそ、日本古来の考え方、つまり神道的な考えなのです。神社では先祖を敬い感謝することを「祖先崇拝」と呼びます。

 

実は日本のお盆とは、仏教の「先祖供養」と神道の「祖先崇拝」が混ざり合った行事なのです。

 

 

祖先崇拝、または祖霊信仰とは、亡くなった祖先が生きている我々の生活に影響を与える、または与えることができると考える信仰です。

今の世に我々が生をもって活動できるのは、自分達を産んでくれた両親がいたからこそ。

そしてその両親を産んでくれた祖父母、さらにはその両親・・・と永遠に近い長さで繋がってきた命のリレーがあります。

昔から日本人はこのことに畏怖の念を感じてきました。

 

古くは縄文時代から環状列石による祖先崇拝を中心とした祭祀・儀礼が行われてきたことがわかっています。

 

あなたには何人の先祖がいるのか?

 

皆さんには何人のご先祖がいらっしゃるか計算したことがありますか?

そこでご両親を1世代前と考えて計算してみました。

 

1世代前 2人 両親

2世代前 4人 祖父母

3世代前 8人 曽祖父母

4世代前 16人

5世代前 32人

10世代前 1,024人

20世代前 1,048,576人

30世代前 1,073,741,824人

 

どうですか?

30世代前まで遡ると1,073,741,824人のご先祖様がいることがわかります。

 

この10億人を超えるご先祖のうち、たった1人でもいなかったら今の自分は存在しないのです。

 

普段からこんなにも多くのご先祖が我々の生活を見守ってくれているのです。

お盆はそんなご先祖に感謝の気持ちを伝える絶好の機会です。

 

家訓づくりのセミナーでは、家系図づくりのワークショップを取り入れています。おじいちゃんおばあちゃん、そして曾祖父母の名前を書いてもらうファンクションですが、中々難しい・・・というのが実感です

 

これまで9000名の方に挑戦いただいたワークショップで全問正解者はわずか1名。

情報化社会が進み、地球の裏側までグーグルマップでのぞける時代に、自分を育ててくれたご先祖さんの名前もわからない・・・

 

自分にとって本当に大事なものはなになのか?

「お盆」の間、ぜひ親戚のおじちゃんや、お寺の和尚さんに伺って、自分のルーツを調べてみることをお勧めします^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お盆は仏教とは関係ない!?

 

先祖供養は、釈迦(しゃか)仏教とは無関係だというのをご存知でしょうか?

大半の日本人は、先祖供養は仏教本来のものであり“シャカの教え”であると信じています。またお盆の墓参りなども、仏教の習慣そのものであると思っています。

 

しかし、ほとんどの日本人が持っているこうした常識は、実は大きな錯覚なのです。このように言うと、おそらく多くの方々はびっくりされるでしょうが、先祖供養もお寺にある先祖代々の墓も、毎年定期的に行われるお盆の行事も、シャカの教えとは無関係なのです。まず、この点について見ていくことにしましょう。

 

 

先祖供養?とは正反対。親不孝なお釈迦さまの一生 

釈迦に生き方って手本になるのでしょうか?僕は到底思えません。

 

お釈迦さまは、古代インドで、釈迦族の王子としてお生まれになっています。しかし恵まれた生活をすて、悟りをえるために出家をします。その際、自分の子供に「悪魔(邪魔者)」って意味の名前つけて、妻と子供を捨ててしまいます。捨てたものは、家族だけにとどまらず、結果的に釈迦族が納めていた王国は滅んでいきます。

 

ちょっと想像していたのとは違うお釈迦さまの一生。

ただしお釈迦さまはすべてを捨てて悟りを得たことで人類に真理をもたらしたとも言えそうです。ただし捨てられた家族はたまったもんではありません((+_+))  

 

仏教本来の死生観――「輪廻転生」 

仏教は「輪廻思想」を大前提としています。シャカは、生・老・病・死という“四苦(しく)”は人間の宿命であり、この世に生まれて生きること自体を苦しみとしました。シャカはこの世を苦しみの世界ととらえたのです。その理由は、私達が人間として生きる現世は「輪廻」というサイクルの中にあると考えたからです。

 

仏教が目指す最終目的は、悟りを得て輪廻のサイクルから抜け出すことです。人間は輪廻のサイクルから抜け出たとき、本当の幸せになれると考えます。もし、ある人が悟りを得て解脱(げだつ)するならば、長く苦しい輪廻のサイクルから卒業できるようになります。仏教におけるさまざまな修行は、輪廻から抜け出すことを目的としたものなのです。

 

シャカは、輪廻については事実としながら霊魂の存在を認めなかったために、弟子達の間に混乱が生じるようになりました。その結果、シャカの死後、理解に苦しむような難解な解釈がつくられることになりました。

 

どれが正しいとかでなく、いろいろな時代にいろいろな民族により様々な解釈がされてきた。それが仏教の本質かもしれません。お盆に檀家さんを走り回る日本のお坊さんも、それはそれで仏教の1つの選択肢なのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お盆は縄文の記憶である! 

 

仏教の行事じゃない「お盆」。ではお盆と何なのか?

幡谷はその答えを「縄文の記憶」と考えます。ご先祖さんが山や川から帰ってくる!という思想そのものが、「縄文」の匂いを感じさせます

 

教科書のなかでは、区切りのある江戸時代と明治時代。しかし人々の生活は、別に切れちゃいません。同じように、1万6000年前の縄文時代も、それに続く弥生、そして現代まで、庶民の歴史は続いています。

 

画像は、縄文時代の遺跡として知られる三内丸山遺跡です。「芸術は爆発だ!」との名言をのこした岡本太郎は、火炎式土器を絶賛しています。3000年前にアバンギャルドな土器をつくっていた縄文人がいたのです。そして縄文人も、今の我々につづくご先祖さんです。また人類の歴史のなかで土器は、縄文人が発明したという学説も有力です。世界中で発掘された土器のなかで、日本で発掘された土器が一番、古く、そして最多の数を誇っています。

 

火炎式土器をみて、手先の器用さはもちろん、独創的なフォルムをみれば、日本は1万年以上まえから技術大国だったと断言できるでしょう

 

私たちが意識しないだけで、縄文の匂いは、土器だけでなく、生活の隅々に眠っています。

 

たとえば、神社のある場所。東京の神社の場所を調べると、縄文時代の海外線に沿って建てられているといわれています。日本列島は、氷河期や、川の堆積をへて形もかわっているなか、数千年の歴史を古い記憶を神社の位置は、今に伝えているのです。また、味噌や餅の違いなど、東西の食文化の差も、縄文時代にさかのぼると指摘する研究者もいます。

 

お盆は縄文の記憶である 

縄文から続く、最大の風習がお盆です。仏教の行事と誤解される「お盆」ですが、ご先祖さんが、山から帰ってくるっという信仰は、神道。そして、はるか前の縄文時代から続いていると多くの研究者が指摘しています。

 

教科書にぶつ切りにされた日本史は、所詮、文字だけのこと。

DNAの研究がすすみ、縄文型と弥生型と、日本人の先祖をさかのぼる調査も始まっています。いまあなたの中にも縄文人の血が流れている(かも)しれません^^

 

本当の歴史は、教科書の中でなく、あなたとあなたをとりまく生活のなかに、ひっそりと眠っています。

家訓二スト協会では、地域の歴史、そして一族の歴史のなかに、本当の「日本」を探していきます^^

投票率とイバラキスタンの謎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが

イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの言葉

 

 

安倍晋三首相の政権運営を左右する東京都議選(定数127)は2日投開票され、小池百合子知事が率いる地域政党「都民ファーストの会」が49議席を獲得。自民党に代わって第1党となり、公明党などを合わせた支持勢力で過半数を制した。自民は、過去最低の38議席どころか、現有57議席を大きく減らす23議席を下回り、惨敗。首都での敗北は「安倍1強」体制への大きな打撃となった。首相の求心力低下は必至だ。

 

都民ファーストは千代田区選挙区などの1人区から定数が多い選挙区まで圧倒的な強さを見せた。歌手の斉藤礼伊奈氏(38)や元アナウンサーの龍円愛梨氏(40)、平慶翔氏(29)ら話題の候補も続々と当選した。

 

小池氏は、大勝に「都民目線で進めてきた成果を認めてもらった。当たり前の都政を、都民が取り戻す瞬間だ」と笑顔を見せた。国政転身は否定しているが、都民ファーストは次期衆院選をにらみ、国政進出の足場を築いた形だ。

  

都選挙管理委員会によると、今回の投票率は、過去2番目に低かった2013年の前回選(43・50%)を7・77ポイント上回り、51・27%となった。自ら新党を率いて都議会改革に乗り出した小池知事の動きなどに注目が集まり、都民の関心が高まった結果とみられる。

 

寝た子をおこした小池旋風 

歴史的な快勝となった小池都知事率いる都民ファーストの会。テレビでは様々な解説が加えられているなか、幡谷の感想は違うものです。圧勝の原因は、関心の低い都会の有権者を起したという点です。

 

仮に投票率が30%としたら、10人中2人に気に入られれば、選挙に勝てることになります。確実に勝つためには、選挙にいかない残りの7人にはできるだけ寝ていてもらった方が良いとも言いかえられます。

 

今回の都議会選挙では、40%だった投票率が10ポイントちかく上昇し、50%となりました。地盤をかため、ご意見伺いを重ね固める固定票も大事ですが、普段寝ている声なき声を聴くことも大事です。小池さんの選挙戦術にはベテラン議員から恨み節しか聞こえてきません。しかし、争点をつくり、寝ていた有権者をおこした小池都知事のブルーオーシャンな戦略は見事なものでした

 

今後の都政のなかでは、準備不足の?小池チルドレンたちのドタバタぶりが世間をゆるがすことになりそうです。しかし、品行方正で妙に空気をよんでしまうベテラン議員より、都民によりそいアマチュアな議員さんの方が期待はもてます。

 

民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが(イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの言葉  )

 

どんな結果になろうとも、それが民主主義というもの、東京オリンピックをひかえた小池都知事と都民ファーストの会に今後も注目です。 

 

 

 

 

 

 

 

  

 謎の王国?イバラキスタンの闇

 

(参照:ライブドアニュース) 

http://news.livedoor.com/article/detail/9896437/

 

 現在6期目となる茨城県の橋本昌知事、前例から見ても長期政権と言える。長期政権の弊害は大きく、自然と反対意見は淘汰され、新しい政策が打ち出されず、県政・市政の硬直化に繋がる。これは、有権者の地方政治に対する関心の薄れが表れである

 

この長期政権や独特な地域性を揶揄して、茨城県は『謎の独立国家・イバラギスタン』と称されることもある

 

ナザルバエフ大統領(在任23年)

カリモフ大統領(在任23年)

ハシモト大統領(在任21年)

ラフモン大統領(在任20年)

ニヤゾフ元大統領(在任16年)

  

さて,イバラキスタンが中央アジアっぽいと言われるのは何も偉大なる領導者ハシモト大統領のせいだけではありません。ここで体制転換後イバラキスタンの政治史を振り返ってみましょう。体制転換後の初の民主的選挙で選出された大統領はヨウジ・トモスエ氏ですが,彼は体制転換以前の大統領でもありました。旧政権のトップがそのまま体制転換後のトップに収まるという展開,ますます中央アジアっぽくなってていいですね。彼の在任期間は民主的選挙で選出された期間のみをカウントしても12年にのぼります。次の大統領はニロウ・イワカミ氏で,こちらは在任16年。第3代大統領フジオ・タケウチ氏は18年で,現職のハシモト氏は現在21年目の任期を努めています。民主化後の67年で4人しか大統領になってません。しかも任期が徐々に長くなってるのですがそれは(友末氏3期→岩上氏4期→竹内氏5期→橋本氏6期。なんすか,次の知事は7期在任することが確定すか)。

 

ちなみに,台湾では総統が民撰となってからの18年で3人が総統に就任しています(李登輝・陳水扁・馬英九)。韓国では軍事政権後初の文民政権となった金泳三以来,21年で5人が大統領に就任(金泳三・金大中・盧武鉉・李明博・朴槿恵)。既に1993年以降の韓国だけで1947年以降のイバラキスタンより大統領の数が多いようです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

いよいよ「イバラキスタン」でも選挙がはじまる!

2013年に行われた茨城県知事選挙の投票率は31.74%で、第45回衆院選と同日に行われた前回2009年の67.97%を大きく下回り過去3番目に低い投票率でした。

 

2005年は郵政選挙、2009年は民主党政権への政権交代選挙と、注目度の高い衆議院総選挙との同日選挙であったため、例年30%台の投票率で推移している中で60%を越える投票率を記録してきた。

 

近年では同様に参院選直後で茨城県知事選挙史上最低だった2001年の29.93%(全国歴代ワースト8位)の更新はおろか、知事選全国最低(2011年埼玉県知事選挙の24.89%)の更新も懸念されています。

 

県の選挙管理委員会ではご当地アイドルやご当地ヒーロー、ゆるキャラらを一日選挙管理委員に任命しての啓発活動や啓発ティッシュの配布などを行っています。関係者の努力はわかりますが、そんなものが投票率に影響しないというのは明白な事実、大切なのは、立候補者のマニュフェストと、それに伴う争点づくりという一点ではないでしょうか?

 

マヌーサにだまされるな!

その点では、橋本知事の「争点のマヌーサ化」は老獪な戦術です。マヌーサとは、ゲーム「ドラゴンクエスト」で登場する呪文で、敵を霧につつみ、攻撃や防御をモヤ~とさせる効果があります。

 

現職である橋本さんは橋本さんの選挙戦術があります。それがマヌーサであっても、それはそれで立派な選挙です。反対に橋本さんのせいにして、選挙にいかない有権者の方が罪深いのではないでしょうか?

 

たとえば、全国で唯一、県単位の民放チャンネルのない茨城県では、選挙特番という番組は成立しません(*_*) 青年会議所を中心に、立候補者の立ち会い演説会を実施していますが、それとて、知事は出席せず、争点のマヌーサ化こそが、長期政権のポイントともいえそうです。

 

民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが(イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの言葉  )

 

水戸駅前でアンケートをすると、橋本知事の知名度より小池都知事の知名度の方が高そうです(*_*) 民主主義という最悪の政治をいいものにするも、悪いものにするのも、結局、有権者が決めること。だらしない議員が増えたのも、結局それを選んだ有権者のだらしなさが原因です。

 

多選を非難される橋本知事ですが、いいこともたくさんしている知事さんです。どうせもう4年させるなら、少なくとも有権者の半分が投票する選挙で付託をしたいものです。もちろん、有力なライバルが現れ、互いにディスカッションすることで、有権者に選択肢を増やしてもらうことも大歓迎です^^

 

300万もいる茨城県民の皆様、今年の夏は、とりあえず選挙にいきましょう^^;

 

『憲法記念日』を考える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の日本国憲法は、敗戦の翌年、1946(昭和21)年の2月4日から12日までの9日間に、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の命令で、GHQ民政局の25人のメンバーが書き上げたものであるといわれてます。

 

そのために、憲法改正を唱える勢力は、「占領軍による、日本弱体化のための押し付け憲法」で、日本が主権のない時代に押し付けられた憲法は「無効」だと主張する声も多いようです。

 

たしかに、GHQ憲法は「戦争放棄」、つまり日本の非武装を前提にしていた。そして作成したGHQ自体、日本が独立すれば、当然日本人の手で憲法をつくり直すものだと考えていた。 

 

しかし、戦後、ほとんどの政権を握り続けながら、自民党はなぜ「憲法改正」に着手することができませんでした。かつて宮澤喜一氏は「日本人は、自分の体に合った服をつくるのは下手だが、押し付けられた服に体を合わせるのはうまい」と言ったことがあります。

 

やりくり上手な日本人が70年も守ってきた「憲法」。しかしさすがにガタがきています。海外では憲法を改正することにアレルギーはなく、同じ敗戦国であるドイツは58回もの改正を行っています。

 

また、戦力の保持を巡って議論となる「9条」の問題だけでなく、 日本国憲法の 第89条には、

「 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」

との条文があり、杓子定規に読めば、高校や大学などの私学助成は、おしなべて憲法違反であることは明白です。

 

憲法は、法律の法律です。

憲法は必ず守らなくてはいけません。一方、時代や人々の暮らしにあわせ、柔軟に憲法を変える必要もあります。

 

安部総理の誕生以後、改憲の議論が高まっています。

 

護憲派勢力は、安部総理は、まるで戦争を始めるかのような極端な表現をつかい憲法をめぐる議論を押しつぶしています。しかし内閣や、国会だけで憲法を変える訳もなく、できるのは、憲法改正の発議まで、あとは国民の一人ひとりが、今のままでいいと思えば、「×」を、改正すべきだと思えば「〇」をつければいいことです。

 

5月3日は憲法記念日。

どこかアンタッチャブルな憲法についての議論が深まる1日になることを願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

憲法(けんぽう)とは、WIKIによれば、国家における組織の形態や国民の義務と権利、統治者や為政者が権限を行使する根拠、統治の根本規範(法)となる基本的な原理原則に関して定めた法規範をいいます。

 

 憲法は、法律の法律

護憲派や、改憲派、様々な議論がありますが、一番よくないのは、メンドクサイ?ものと議論から逃げることなのではないでしょうか? 日本青年会議所では、憲法に対するスタンスの違いを超え、国民の中で、憲法論議を活発化させる意識醸成を目的として全国一斉憲法フォーラムを実施しています。 これは、日本青年会議所がもつネットワークをいかしたもので、現役メンバーであった頃は、幡谷も、設営に勤めてきました

 

憲法は、国民のものです。 しかし、身近に感じる機会はほとんどなく、議論することさえアンタチャッブルな時代が長く続いてきました。護憲、改憲。あるいは、議論にわかれる9条、平和憲法の扱いなど、意見が分かれるからこそ、国民が決めればいいことです。

 

日本青年会議所では、10年単位で憲法の問題とむきあい、憲法草案の作成や、憲法を学ぶ冊子の作成など、陽のあたりにくい憲法論議について、運動をすすめてきました。 憲法は、国民の全員の課題でありながら、左翼さん、右翼さん交え、ものすごい批判や、つぶしあいが起こるやっかいな問題です。 今回の取組で、憲法にたいする理解がすすみ、きちんとした議論ができるステージが国民の間に共有されることを祈念します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平和とは?

いじわるな定義では、平和とは、戦争と戦争の間の時間とも評されます(*_*)

 

平和のために戦うのも平和、有史以来、人類は闘いに明け暮れてきました。 あらためて、平和とはなんでしょう? 家訓ニストは、明るく豊かな社会であると定義します。この時の明るさとは、社会の明るさ、目に余る不正や独裁のなかでは、明るさはありません。そして、「豊かさ」とは、経済的な裏付けでなく、人間の思慮深さに根差すものと考えます。

 

戦争により、罪のない人が殺される。あるいは、市民であった兵士が、銃をもち殺人をおかす。そのいずれにも、明るさも、豊かさもありません。 殺人は、殺人です。 アメリカさんでたとえると、裁判所による捜索令状があり、その説明をおこない、証拠だ、法律だ、裁判だっと、何重にも貼り巡らされた司法の網が、戦争になると、「あっ危ない!?」「バキュ~ん」で終わりです。

 

訴訟社会ともいわれ、マクドナルドのコーヒーが熱すぎて50億円の賠償金。あるいは、泥棒にはいった男が屋根で足をとられ骨折、家主の管理責任をとい訴訟をおこす・・・といった厳格すぎる運用をする国が、バキューンで終わりです。

 

これは、豊かでも明るくもありません。 しかし、国が武力をもつことに、こんな議論も一方にはあります。 武力放棄をうたい平和憲法として知られる日本国憲法に関して、特攻隊を描き、映画化された『永遠の0』の作者でもある百田氏はこんな発言をしました。

 

「憲法9条を守りたい人間は、戦争が起きたら最前線に行ってもらい、『日本には憲法9条がある』と叫べばいい」といいっと・・・

 

幡谷の考える平和とは、前者と後者の真ん中の立場です。 平和を守るには、武力も必要。しかし、侵略戦争はもちろん、戦争は誰の得にもならない悲しい事実です。

 

歴史を丁寧によんでいけば、大東亜戦争は、自衛のための戦争であったと考えます。問題は、人間の思慮深さです。改憲を巡っての議論は、こうした歴史観や、ひとりひとりの国家観を喚起する議論にもつながります。

 

憲法改正に挑戦して悪いことなんてどこにもないのではないでしょうか? 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛情の反対は無関心である

2016年の参議院選から、投票できる年齢が引き下げられ18歳から投票できるようになりました。

しかし、世論調査の結果では、「必ず投票にいく!」っと答える若者も少なく、わずか10%たらずでした。その中でも「どうせ世の中は変わらないと・・・」っと、若者が、他人事のように答えるコメントが印象的です。

 

愛情の反対は無関心である。

政治への無関心は、民主主義の根幹を揺るがす事態であると幡谷は考えます。

 

しかし、学校のなか、あるいは家庭のなかで、選挙や民主主義。そして憲法について議論したことのある学生がどれだけいるのでしょうか!?

 

若者は社会の鏡です。一億総評論家と言われる時代にあって、自らの考えで投票し、あるいは国のために自身が何ができるのか?を考える必要があります。

 

どこか絵空ごとのように語られる『民主主義』の本質を、『進撃の巨人』に例え解説していきます。若い世代にとっては、テレビの中の戦争よりも、漫画の方がリアルティーがあるのかもしれません(*_*)

 

 

■『進撃の巨人』と市民の義務

 

『進撃の巨人』とは、圧倒的な力を持つ巨人とそれに抗う人間たちの戦いを描いたファンタジーバトル漫画です。2009年から連載を開始。新人作家の初連載作品であるにもかかわらず2011年には第35回講談社漫画賞の少年部門を受賞するなど、各方面から高い評価を受けています。

 

物語は、繁栄を築き上げた人類が、突如出現した“天敵”「巨人」により滅亡の淵に立たされるところから始まります。生き残った人類は、「ウォール・マリア」、「ウォール・ローゼ」、「ウォール・シーナ」という巨大な三重の城壁の内側に生活圏を確保することで、辛うじてその命脈を保っています。

 

しかし、謎の巨人は無慈悲そのものであり、躊躇なく市民を食い尽くします。

巨人相手に、話し合いで解決できるわけもなく、徹底抗戦にそなえ、壁の中に住む市民は、巨人との戦いを支援する生活を余技なくされているという設定です。

 

壁の中の市民の義務は1つ。巨人の脅威を払しょくすること。

男、女をとわず武器をとり、ある人は、食糧の生産で街に貢献し、あるいは武器を製造し貢献するもの、またその生活を支えるものも貢献といえます。

市民一人ひとりが、巨人の侵入に備えそれぞれが役割を担い生活する「義務」がある。それがこの物語の前提です。

 

『進撃の巨人』で描かれる市民生活は、実は中世ヨーロッパをモデルにしています。暗黒の中世と言われる時代、疫病や外国の軍隊との戦争が絶え間なく続き、人々は高い城塞をきづき壁の中での生活をよぎなくされていました。

 

壁のなかで、生活できるということは、「安心」であると同時に市民としての「義務」が付随されます。

また「義務」を背負った市民は、様々な「権利」を手にいれ行政の運営に自分たちの意見を反映させていくのです。

これが、現代にも続く民主主義の原型です。

 

貢献によって手に入れた「権利」を行使するために、市民たちは代弁者をたて、行政に意見を反映させていきます。それが選挙です。投票によって自分の意思を表明することは、市民の権利である一方、それ以上に街への貢献が求められるというのが、城塞都市のルールだったのです。

 

平和主義!を主張しても、巨人や、異教徒にはそんな説得は届きません。

「壁が破られる=皆殺し」です。実際、異民族の侵入に悩まされてきた欧州の歴史をひもとくと、聖書には「異教徒は、皆殺しにせよ!」との記述まであります

 

『進撃の巨人』の世界観はファンタジーであってファンタジーにあらず。戦争はいけないことです。しかし侵入してきた敵に無抵抗に殺される・・・そこまでされるなら、武器を手に取り戦う必要もあります。

民主主義とは、空から降ってきた制度ではなく、こうした名もなき市民たちの血と汗で獲得したことを知る必要があります。

 

 

■権利の本当の意味

 

先の安保法制の際では、SEALDs(シールズ、正式名:自由と民主主義のための学生緊急行動)を代表とするは、学生団体が注目を浴びました。戦争法案反対、民主主義を壊すな!という主張、さらには強行採決反対に、数の横暴を許すなという意見・・・

 

しかし、多数決で決める。それが民主主義であり、少数の意見が通るなら、多数の意見を無視した「独裁」政治になってしまいます。

また、彼らに民主主義の前提となる「国への貢献」という視点はあったのでしょうか!?

 

髙い城壁に囲まれた中世の街のように、日本は広い海に囲まれた島国です。

巨人はいつ攻めてくるか分からないもの。だからこそ、普段の不断の努力が必要です。

 

武器をもち戦いにそなえる自衛隊さん、街の秩序をまもる警察官、働いて納税することで貢献する市民、あるいは病気になった人を助けることも、美味しい作物をつくることも、ゴミ収集のおじさんだって、そのすべてが自分たちの生活を守る尊い行いなのです。

 

自由に発言できる事や、施政に反対することも市民の権利です。

己の誠は、ひとによって違って当然、しかし、その主張は、選挙によって誰かにゆだねないとならないのです。

また「権利」には正義が必要です。

権利を英語でいうと【right】。このライトには、【正しい】という意味も含まれます

 

市民の権利には、正義が必要であり、また市民としての義務がなくてはいけません。

 

 

現代の教育システムでは、こうした民主主義の当たり前の感覚を学ぶ機会がありません。

いつ使うか?分からない英語の授業に1000時間も費やすのに、選挙や義務を学ぶ時間はせいぜい10分や20分というぐらいではないでしょうか?

 

そもそも、どうやって市民が、民主主義を獲得し、またその自由を守るために、汗や血を流してきたかを学校で教えてくれたのでしょうか?

壁の中(日本の中)で暮らす限り、国民には様々なサービスが保障されています。

 

世界有数の医療を、世界一安く受けることができます。

1万人あたりの犯罪発生の件数は世界一少なく、停電になることもなく、水道の水を安心して飲むことがあります。

職業を選択する自由があり公教育が充実し、奨学金を活用することで、大学に行くことも可能です。年金制度が整えられ、米タイム誌が主要20カ国を対象に実施した「国家イメージ」に関する調査では、日本は2007年から4年連続で第1位に選ばれる国、それが日本です^^

 

これだけのサービスを確保するために、あなたの親父も、そのお袋も、ずっとずっと前のご先祖さまも、市民としての義務にこたえ社会に貢献してきました。

 

ケネディー大統領はその就任演説で、

『国があなたのために 何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えよう』

と述べました

 

日本という国を守り、さらに幾歳とこの繁栄を次の世代につなぐため、あなたは何ができるでしょうか?

 

『進撃の巨人』では、正体不明の巨人が街を襲い無慈悲に人間を襲っていきます。

ただのフィクションというなかれ、実際の国際関係でも正体不明の第三国が国を襲うことは、起こりうる事実です。

 

戦争は起こらないにこしたことはない。また外交や民間交流によって、戦争が起こらないように努力することは大変重要なことです。

しかし、巨人は前ぶれもなくやってくる。だからこそ、平和なときに、万が一の事態を想定して準備しておくことが重要なのです。

 

そして、国防とは、巨人と戦うために銃を磨くだけでなく、市民としての義務を果たし、それぞれの持ち場面で、それぞれの努力を積み重ね、幸せを築くことに他ならないのです。

 

選挙にいくも、いかないのも、言ってしまえば「自由」です。

しかし、あなたが放棄した「投票する権利」には、国政選挙で約200万円以上の使途を決める一票であり、またゆだねてしまった以上、次の選挙までは、文句も言えない立場でもあること覚悟しましょう

 

改めて、国があなたのために 何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えます。

僕の場合は、その答えが、納税と選挙への投票と、家訓づくりです。

あなたは何ができますか?

 

投票ぐらいで許してもらえるなら安いもの、それだけ権利(正義)は重い。そして憲法はもっと尊い。憲法記念日にちょっとだけ、当たり前と思い込んでいる民主主義や、平和について考え頂くことをおススメします^^

 

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メディアの嘘と罪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

謝罪ですむのか!?という話

 

妻が懐妊中、妊娠性の糖尿病をわずらってしまいインシュリンをブチュッと打って、糖のコントロールをしてきました

初めての子どもを身ごもっただけでなく、糖尿病まで併発し幡谷家では、大変な想いで日々の生活を続けきました

 

そんな時、一番つらかったのは、無神経なテレビからの情報でした。あたかも救世主のように、血糖値をさげる食材だの、運動だの取り上げる度に、お義母さんから、電話をもらい、あれをしろっとか、これを食べろっとか・・・

お義母さんにしても、藁にもすがる想いで、知らせてくれるのですが、正直、役にも立たないし、逆に混乱をまねくだけでした

 

NHKで、睡眠薬で糖尿病が治るとのトンデモ説を番組でとりあげ、謝罪におわれているとの記事がでています

製造業で、不良品がでれば全品回収する義務が発生します。
仮に、回収を怠れば、マスコミから袋叩きに会う事でしょう・・・
テレビから垂れ流される嘘の情報も、回収してほしいものです。少なくと、番組の冒頭で数秒謝っても、謝罪にも、回収にもなっていないのでないでしょうか?

 

幡谷家の場合、出産後、糖は下がってきたのでインシュリンでの治療は回避できそうです。
ただし、全国には、糖尿病に限らず病気と向き合う人、そして家族はたくさんいます。変な期待をもたせてもいけないし、ましてはそれが嘘だとしたら、そんな罪深いことってないのではないでしょうか?

 

NHK死刑っ

 

 

NHKは2017年2月26日夜、生活情報番組「ガッテン!」の22日の放送で、ある特定の睡眠薬を飲むことで「糖尿病の治療や予防ができる」などと伝えた件について、

 

 

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国史会議のホームページ

「国史」とは、文字通り自分の国の歴史のことをさします。しかし、いまの教育現場では、「日本史」という呼び名をつかっています。

また、年号や、人命を無機質に覚える授業に苦しめられた人も多いのではないでしょうか?

 

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

そもそも歴史を学ぶことは、温故知新。古きを訪ね新しきを知るものです。

それは、今をいきるために、先人の知恵をまなび、現在に生かす、「道徳」の道でもありました

 

こうした現状を打破していくため、いま、必要とされる「国史」への取組と、道徳の道しるべをこのブログでは紹介していきます

今回、「国史」の概念を考えるために5つの切り口を用意しました 

 

・神話へのアプローチ

・GHQと教育勅語について

・近現代史について

・偉人伝について

・家訓について

 

いずれも、心の在り方を考えるもので、いわゆる「日本史」とは全く違うものです。

 

 

みな曰く、天下国家と。

天下の本は国にあり、国の本は、家にあり。

家の本は、身にあり

                (孟子)

 

日本人として大切にしなくてはならない歴史、伝統、文化が、いま荒廃の一途をたどっています。しかし、文化とは、守るだけでなく、あなた自身が創っていくものです。このホームページでは自分なりの歴史観、そして正しい認識を紹介させていただきます。

 

ぜひ皆様も自分のクチと行動で、日本の歴史を語り、そして新しい日本をつくっていってください


 

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