「教育勅語」について
日本には、創業100年をこす老舗企業が5万社。200年を超す会社も3000社あるといわれ、2位のドイツ800社を大きく上回る老舗大国です。そして、そのうち8割の会社に、家訓があると言われています。
古くから続くということは、それだけ社会に必要にされてきたということです。それは、商いを通じ、社会に貢献してきた証拠ではないでしょうか?家訓二ストは、これを【徳】と表現します。
また、日本は、世界一古い国でもあります。これは、神代までさかのぼれば2600年前。実在が証明された古代の天皇の御世にさかのぼってもいずれも世界一の歴史を誇ります。それは、【徳】に溢れた奉りごとをしてきた証明です。
では、日本という国を考えた時、国の「家訓」とは何にあたるのか?
家訓二ストは、これを『教育勅語』だと提言します。
『教育勅語』というと、ある種アンタッチャブルなイメージを持たれてしまっていますが、皆様はちゃんと読んだことがありますか?
まずは、右も左も関係なく、まっさらな気持ちで教育勅語をお読みください
(※本文は漢文のため、ここでは、明治神宮のHPで紹介されている意訳を紹介させていただきます )
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「教育勅語」意訳(口語文)
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
~国民道徳協会訳文による~
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ごくごく当たり前のことが、書いてある・・・
皆様もそう感じるのではないでしょうか?
しかし一般に、「教育勅語」というと、軍国主義だと、右だと、なんだのとネガティブなイメージがまとわりつきます。このおどろおどろしい雰囲気は、どこからくるものでしょうか?
口語訳を読んでいただいた皆様、どこに戦争しろ!とか、ひいては侵略しろ!なんて書いてありますか?そこには、軍国主義につながるものも、海外への恫喝もない博愛に満ちあふれた精神が、並んでいます。
このギャップには、大東亜戦争末期に、軍官僚による独裁政治のなか、勅語をゆがんだ形で運用してしまった悲しい歴史の背景があります。そしてそこからもう70年近く経って、そろそろ枷(かせ)を外してもいい時期であるとも提案します。
昔は良かった・・・とノスタルジーに浸る気持ちはありませんが、戦後の教育改革の中で、「心」の教育がおろそかになった部分は否定できません。いきすぎた個人主義や、親の乱れ、コミュニティーの崩壊など問題は山積みしています
明治期に、明治天皇が憂いた以上に、今、求められる教育の質の向上は一刻の猶予もありません。 日本という国の「家訓」を考えたとき、やはりそこには「教育勅語」があるべきです。
家訓二ストは、家訓の唱和とひとしく、日本のあるべき姿を示した教育勅語をお子さんと声にだして読んでいただくことを推奨します。
「こんなに怖い世界の国歌」
森友学園の問題はわけのわからない方向に脱線しています。
安部総理、安部総理夫人の関与の問題、補助金の不正受給の問題。そして、学園の教育方針の問題と、本来わけて考えなくてはいけない問題が、グチャグチャに報道され、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態に陥っています。
アクの強い学園長の発言の中身をよくよくみれば、好いことも言っているな~っというのが幡谷の感想です。
とくに「教育勅語」についての解釈は素晴らしいものだと感服しています。しかし現状では、言えばいうほど、マスコミに袋叩きになっています(>_<)
おどろおどろしい扱いをされる「教育勅語」。
前章では、全然平和な内容であることを紹介させていただきました。
ここでは、さらに一歩進めて、外国の国歌と比較してみたいと思います
まずは、こちら・・
行こう 祖国の子らよ 栄光の日が来た!
我らに向かって暴君の血まみれの旗が掲げられた
聞こえるか 戦場の残忍な敵兵の咆哮を?
奴らは我らの元に来て我らの子と妻の喉を掻き切る!
武器を取れ 市民らよ 隊列を組め
進もう 進もう! 汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!
怖すぎる国歌として有名なフランスの国歌、ラ・マルセイエーズの1番です。
民族差別も含む内容でいくらんなんでも改めるべきだという議論があるなか、いまだにフランス国民はこの歌詞を斉唱しています。
フランス国歌だけでなく日本国の国歌以外は「血生臭い」ものばかりです。歌詞には品格も格調も無い戦闘を鼓舞するものというのが世界の常識です。
1. ロシア
「鍛えられし わがつわもの 攻めくる敵 討ち破り 断乎と守る 尊き国わが祖国に栄あれ。栄光の民よ 自由の祖国 結ばれしその誉れ 旗のかげで 導けよ勝利の為 進めよや」
2.中国
「立て、奴隷となるな、血と肉もて、築かんよき国。立て!立て!立て!心あわせ、敵にあたらん、進め、敵にあたらん。進め、進め、進めよや」
3.フランス
「ゆけ祖国の国民 時こそ至れり正義のわれらに。旗はひるがえる 旗はひるがえる 聞かずや野に山に 敵の呼ぶを悪魔の如く 敵は血に飢えたり。立て国民 いざ矛とれ 進め進め仇なす敵を葬らん」
4.イギリス
「おお神よ 我らが神よ 敵をけ散らし降伏させ給え 悪らつな政策と奸計を破らせ給え 神こそ我らが望み 国民を守らせ給え」
5.アメリカ
「おお激戦の後に 暁の光に照らし出された星条旗が見えるか 夜どおし砲弾が飛びかった後に、われらの星条旗が翻っている。自由な祖国、勇敢な家庭 星条旗をふれ 星条旗をふれ 戦闘がやんで微風が吹く中に 濃い朝霧の中 見え隠れしているものは何か これこそわれらが星条旗 神よ!星条旗をふり続け給え 自由の祖国勇敢な家庭の上に」
6. 日本
「君が代は 千代に八千代に さざれ石のいはほとなりて、苔のむすまで」。
教育勅語も君が代も立憲君主国としては普通であり、フランス国歌よりはるかに穏健です。
それを暗唱するのは趣味の問題で、キリスト教系の学校で「主の祈り」を暗唱するのと同じではないでしょうか?
自称知識人が大騒ぎする「教育勅語=軍国主義」というロジックが成立するならば、博愛をうたいながら、世界中で虐殺や奴隷貿易を繰り返してきたキリスト教の歴史も否定しなくてはいけないません。
森友学園を叩くように、キリスト教を紋切型に捉えれば「聖書=残虐」であるというロジックが成立します。だったらキリスト教系の学校は廃止、クリスマスも禁止・・・
本当にそんなことをやったら、イスラム教の過激派集団・アルカイダよりも危険な末路がまっています。
世界にはたくさんの民族がいて、それぞれの信じる歴史や神様をお持ちです。誰が正しいとか、どこが偉いということを敷き詰めていくと、最期は戦争になってしまいます。
しかし人間には知恵があります。自分の考えと違う人がいたとしたら、丸め込むのでなく、「自分たちと違う考えを持つ人がいる」と考えることが大事なことではないしょうか?
私自身、右よりといわれることがあっても、政治家でいえば山本太郎が好きだし、共産党に投票することもあります。右の幼稚園も、左の幼稚園もそれぞれあればいいことです。少なくとも、私立幼稚園なのだから、いやなら親が子供を行かせなければいいだけでマスコミが寄ってたかって袋叩きにするような案件ではないのでしょうか?
学校法人森友学園が運営する塚本幼稚園が『右翼系の学校』だとして問題になっています。
塚本幼稚園の教育思想のベースになっている愛国精神については何も問題ありません。ツイッターやネット掲示板などを見ると、むしろ素晴らしい教育であると評する人も沢山といった印象を受けます。
しかし、今回騒動になっている森友学園への国有地払い下げ売却問題で、何かと塚本幼稚園のヘイトや、それに対するバッシングや抗議、脅迫がニュースで取り上げられていますが、いわゆる左翼系メディアが大げさな報道をするために森友学園に関する問題がややこしくなってきているのが現状です。
補助金の不正受給は悪いこと。それはそれ、これはこれ。
愛国精神や、「教育勅語」、国歌斉唱など、なんでそれが悪いこととされているの?そんな素朴な問題に陽が当たったことは良かったかもしれません。
極々当たり前のことを言えない空気、そんな空気の方が軍国主義より怖い気がします。
このブログで、炎上するかもしれませんが、自分なりの意見を声に出して言うことが何よりも大事なことだと信じています。