東京では絶対できない教育の在り方~鳥取県智頭町~森の幼稚園


 

 

 

理想と現実は、度々違ってくるものです。
しかし、理想は理想っとして、心に秘めているほうが、良い結果をもたらします

そんな理想の教育環境について、ブログで紹介させていただきます。

 

題して「森のようちえん」
父の郷里である鳥取県智頭町をはじめ、全国で広がりをみせる究極の教育の在り方です。

田舎に住むのは、不便ですか?しかしその不便さのなかに、東京では絶対できない育児があります。田舎でしかできない教育が、閉塞感に支配された日本を打破する人材を輩出することでしょう。

 

東大医学部の教授をつとめられ、自身も幼稚園を経営する養老孟司さんは、最近の学生さんの特徴を「脳の中で生きている」っと評しています。

たとえば、病理解剖し、人体にふれるとき、たいていの学生は、「この遺体はまちがっています」と答えるそうです。

 

本でえた知識と違う物証が目の前にあるとき、間違っているのは、「本」(知識)の方です。しかし、目の前の事実を受け入れられないせいで「間違っている」っと報告してくるそうです。

養老さんの言葉をかりれば、人体も自然の1つ。学生さんをふくめ、現代を生きる我々は、自然を切り離し、都会の中で生きているっと錯覚しています。しかし、その幻想は所詮、脳味噌の中にある幻想です。

脳の中で生き、自然を見て見ないふりをすることで、数々の問題がおこると、養老さんは厳しく指摘をしています。

 

人体も自然。いわれてみればそうですが、なかなか意識しずらい概念です。

たしかに、心臓よ動け!っと念じたこともないですし、呼吸を意識したこともありません。

 

心と体の問題が議論されはじめているなか、原始の生活に立ち戻ることで、失われた身体を取り戻す取組がはじまっています。人間だって所詮、猿の仲間。コンクリートに囲まれた環境より自然をこのみ、自由に生きるほうがいいに決まっています^^

 

 

今回、国史ブログで紹介するのは、「森のようちえん」の取組です。

 

森のようちえんとは、1950年代中頃にデンマークで「子供たちに幼い頃から自然と触れ合う機会を与え、自然の中でのびのびと遊ばせたい」という願いを持つ一人の母親が、自分の子供たちを連れて毎日森に出かけたのが始まりといわれています。
その後、北欧を中心に日本でも10年前頃から少しずつ広がってきました。

日本の‘森のようちえん’は、フィールド、園舎の有無、活動の頻度、活動主体などが様々で、幼児の野外活動を総称して‘森のようちえん’といわれているようです。

 

現在、趣旨に賛同する多くの地域で取り入れられ、こどもたちへの教育効果はもちろん、郷土愛や、田舎でしか出来ない教育システムに注目が集まっています。

東京でしかできないことは、東京でやればいい。ただし、田舎でしか出来ない事も、たくさんあります。「森のようちえん」はまさに、脱東京、そして東京から人を招き入れることのできる夢の教育サイクルです。

 

っていうかボクが入園したい(ー_ー)!!

この幼稚園の存在をしったのは、父の郷里、鳥取県智頭町で「森のようちえん」が立ち上がっているからです。実際、従兄弟のこどもたちも、この幼稚園にお世話になっています。

 

森のようちえんとは、単純明快に、森が幼稚園っという幼稚園です

園舎も持たず、お母さんお父さんが見送った後は、先生と一緒に森にはいり、毎日、毎日。森のなかで遊んですごします。雨の日も、雪の日も、森のなかで勉強していきます

 

学ぶものは、自然と子供たち同士の人間関係です。それはすべて生きる力っと表現できる内容です

園に子どもを通わす従兄弟の大ちゃんの言葉をかりれば、

「最初は不安だったけど、こどもは不思議とケガもしない。たとえば、川遊びをしても、危ないから入ってはいけない!とはいわず、下流で、流された場合のみ、救助できるよう、先生もそっと見守るほどの見事さだ!」っと

 

もちろん、まちには普通の幼稚園もあり、不安が勝る親御さんは、まちの幼稚園を選ぶこともできます。親御さんには、ちょっとした覚悟と同意書。そして教育方針に対する信頼が必要となる森の幼稚園ですが、過疎化が進む山村にあって、越境入学や、幼稚園みあての移住者が現れるなど、小さな街の新たな希望にもなっているそうです。

 

幡谷が少年時代をすごした昭和50年代には、今に比べればまだまだ地域とのつながり、自然とのつながりのある環境で幼少期をすごしています。

たとえば、ガキ大将の存在。小さい子から大きい子までガキ大将のもと、いろんな遊びをしていた記憶がのこっています。こどもは、塾でなく、大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんの中でこそ遊び、学ぶものなのかもしれません。

 

森のようちえんの取組は、忘れてきた日本の風土のなかで子供を育む取組でもあります。

山、川。そして、子供同士の人間関係のなかで、より強く、たくましい子どもがはぐくまれることにワクワクします^^

 

何億円もかけた校舎より、森や川が校舎だなんて、なんて素敵なことでしょう

っていうか、ぼくが入園したいな~♪ 森の幼稚園の挑戦に注目です!

 

 (以下HPより転載; http://marutanbou.org/

 

森のようちえんとは、1950年代中頃にデンマークで「子供たちに幼い頃から自然と触れ合う機会を与え、自然の中でのびのびと遊ばせたい」という願いを持つ一人の母親が、自分の子供たちを連れて毎日森に出かけたのが始まりといわれています。
その後、北欧を中心に日本でも10年前頃から少しずつ広がってきました。

日本の‘森のようちえん’は、フィールド、園舎の有無、活動の頻度、活動主体などが様々で、幼児の野外活動を総称して‘森のようちえん’といわれているようです。

 

森のようちえんと一般的な‘施設型’の幼稚園(保育園)との一番の違いのひとつは、とにかく自然の中で過ごす事を重視する点です。おとなが管理・設定した空間ではなく、自然というある意味なんでもありの(もちろん危険も含む)野外空間で毎日過ごす事は、日々目覚しい発達をしているこどもたちの心と体の成長に様々な刺激を与えます。また、このような野外空間に1年を通して通ううことで、日本特有の四季の移り変わりの美しさや、暑さ寒さ、雨や雪といった気象現象にも負けないたくましい心と体がはぐくまれます。私たちがフィールドとして重視している森という空間には、木や草や花、キノコ、動物や昆虫など様々な生き物たちに出会える場所でもあります。

このように、野外で一年中過ごすことでこどもたちの体と、幼児期に特に発達するといわれている五感を、自然という美しくも厳しい環境の中で鍛えていく事ができ、自然の中には人間以外にも様々ないのちがあるという事を感覚としてつかんでいきます。

 

 

また、森のようちえんのもう一つの特徴は、こどもの自主性を尊重し‘見守る保育’を徹底して行う事です。おとなはともすると、こどもかわいさからついつい‘転ばぬ先の杖’を与えてしまいがちです。しかし、幼児期という心と体が未熟なこの時期に、小さな失敗を含むたくさんの経験をしておく事は、今後の成長にとって実はとても大切なことなのではないでしょうか。森のようちえんにおけるおとなの役割は、ただただこどもの‘共感者’として、一緒に森をおさんぽし、こども自らがつかみ取り経験していく様子をそっとにこにこと見守っている存在です。しかし、その事がこどもたちに‘自分は見守れている’という安心感(=他者への信頼感)’と、‘自分の力で何でもできるんだ’という自信(あるいは‘自分はここまでしかできない’という自分の限界を知る)と、‘仲間同士助け合わなくてはいけない’という気持ちを育んでいきます。

そして何より、こどもたちが次々と自分達で遊びを作り出し、問題を解決していく姿を見守ることで、私たちおとな(保育者・保護者)もこどもの持つ能力の大きさを知り、こどもを信頼し任せることができ、一人一人が様々な個性を発揮しながらキラキラと成長していく姿にたくさんの感動をもらっています。

 

私たちは、デンマークやドイツで行われているスタイル(毎日の預かり型保育)をめざし、2009年4月に智頭町に住む子育て中の母親・父親たちが立ち上げました。2011年4月より「特定非営利活動法人 智頭町森のようちえんまるたんぼう(以下まるたんぼう)」として活動しています。

そのスタイルは、母親が運営を行い、保育士さんの力を借りて保育を行うという『共同保育』というスタイルです。共同保育は預ける親と保育者の距離が近く、‘こどもの成長’の喜びをみなで分かち合う子育ての場となっています。

まるたんぼうでは智頭町の9箇所の森をフィールドとし、午前は森で、午後(2時以降)は町内に借りている古民家(通称まるたんぼうハウス)でお昼寝をしたり、おやつを食べたりして自由に過ごします。週に一回のモノづくり活動(畑作りや制作など)やクッキングにも取り組んでいます。山村という日本の原風景に恵まれたこの地で、昔から日本人が培ってきた文化や風習も大切に取り入れています