なんで勉強が必要か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■なぜ勉強が必要か?

 

 「何故、勉強は必要なのか?」これって同じように疑問に思う人って、たくさんいると思います

 

PTAでの家訓づくりを実施すると、「勉強」をキーワードにした家訓が登場します。

そんなとき、家訓二ストは、2つの宿題をだします

 

1つは、「なぜ勉強をするのか」、お父さんお母さんの言葉で説明してあげてほしい

もう1つは、お父さんお母さんが本をよんだり、あるいは勉強している姿をみせることっと

 

なぜ勉強をするのか?

「いい大学にはいるため」、とか、「あなたのためよ」っとか、そんな回答が予想されるなか

家訓二ストの考えに合わせて、ネットで拾った2つの答えを加え、合計3つのメニューを紹介させていただきます^^

 

■「なぜ勉強をするのか」 その① 家訓二ストの場合

「何故、勉強は必要なのか?」。家訓二ストは勉強する時間よりも、そんな問いかけを何度もくりかえしていました。結局、答えはでないし、勉強していないから点数悪いし(*_*) 学生時代は、言い訳ばかりをさがすような日常をすごしていました

 

家訓二ストも41歳、今なら、より豊かに、より楽しく人生を楽しむ為に勉強することなのだと答えることができます。 例えば英語が出来れば、より多くの世界の人たちと友達になることも出来るし、法律に強ければ、日々の生活で、得をすることもたくさんあります

 

そして、勉強とは、机にかじりついてガリガリするだけのものでなく、商売をするのも、育児をするのも、日々の生活そのものが「勉強」であると考えるようになりました。 

 

学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ

(アインシュタイン) 

アインシュタイン

 

「学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの、それこそ教育だ」
かの有名なアインシュタインの言葉です。
勉強した内容を忘れ、その後に残るものこそが教育、ということです。
 家訓二ストはこの意見に賛成です。そして、勉強は教育的な観点で行うものですから、教育を第一義(一番大切)と考えると、勉強は忘れてもいいもの、となります。

 

学生時代、落第生だった家訓二スト。

しかし、いま、猛烈に勉強しています。当時かかえていたコンプレックスや、後悔の念が、原動力にもなっています

今、ぼくがしている勉強は、商いのこと、家訓のこと、セミナーのこと、おかげさまで家訓の本の出版や、会社の業績として少しは形になっています。

そして、一番の勉強方法は、たくさんの人と会うこと、本やPCはおまけにすぎません。10年間所属させてもらった青年会議所は「最後の学校」と呼ばれています。人は人でしか学べない。こんな人になりたい、あるいは、こんな人ではダメだっと、ヒトは皆師、勉強には終わりはありませんね

 

勉強に終わりはない

だからこそ、考える力や、学ぶ基礎をつくる若い時の勉強が必要だとも思います

あんとき、もっと勉強しておけばな~っと、41歳のぼくが後悔しても時間は取り戻せません

 

ぼくができることは、「いま」勉強することと、ぼくの後悔を教訓してもらうために、ブログやセミナーでお伝えするだけです^^; 

 

 

■「なぜ勉強するのか?」その② 

 

なぜ、勉強するのか?答えをだせないある高校生のツィートが話題になりました

 

国語→日本語しゃべれる

数学→将来役に立たない

理科→理系の仕事目指していない

社会→過去を振りかえっても意味はない

音楽→興味ない

技術→大工になるつもりない

美術→絵ぐらい誰でもかける

英語→ここ日本

 

そして、フォロワーから以下のような返信がありました^^

 

国語→知らないと恥かく

数学→役立つ職業は山ほど

理科→知らないと擬似科学に騙される

社会→社会の仕組みを知らないと損しまくる

音楽→おっ、そうだな

技術→PC扱えないと将来詰む 

美術→俺は描けない

英語→ここ地球

 

いずれも的をえた回答ばかり^^

 

「なんで勉強をしなくてはいけないか?」素朴な質問ですが案外答えるのは難しいものです

質問する方も、たいがいはその場から逃げたいだけの愚痴レベルですが、それでも本質をついた質問かもしれません

 

 

 ■「なぜ勉強しなくてはいけないのか」その③ 

 

参照:GRAPE 

http://grapee.jp/82265

 

なぜ勉強をしなければいけないのか、そんな子供の頃の疑問をわかりやすい言葉で返してくれたツイートが、話題になっています。

 

投稿したのはTwitterネーム、レ点(@8jouhan_ns)さん。小学生の頃にお母さんに何故、勉強するのかと質問を投げかけたところ、次のように返ってきたのだそうです。

 

 勉強をなぜするのか親に訊いたときに、コップを指して 「国語なら『透明なコップに入った濁ったお茶』、 算数なら『200mlのコップに半分以下残っているお茶』、 社会なら『中国産のコップに入った静岡産のお茶』 と色々な視点が持てる。 多様な視点や価値観は心を自由にする」

 

というようなことを返され ただ必要だから「やりなさい」と言われるよりも、子供の心にすんなりと入っていきそうな言葉です

 

本を飲まない親が子供に本読め言っても読むわけ無い。勉強の価値の分からない親が子供に勉強せよと言ってもする訳ない。

 

「多様な視点や価値観は心を自由にする」

価値のわかる人が価値を伝えられる 子供の純粋な質問にしっかりと向き合うお母さん。こんな機転の利いた答えを返せるよう視野を広く、多様な価値観を持ちたいものです^^