老舗の進化論

 

 

 

 

 

 

 

伝統とは革新の連続である

 

生物学者「ダーウィン」は著書「種の起源」で”生き残ることのできる生物の種族は最も優れた生態能力を持った種族ではなく環境の変化に対応できる種族である”と述べています

 

これは、ドラッカー師の言うところの「昨日を捨てなければ明日をつくることはできない」ということにも通じるメッセージです。

 

日本は、「老舗企業大国」、「長寿企業大国」と言われています。世界には、約7千数百社の長寿企業があると認識されているが、そのうちの4割以上がわが国企業であるという調査があります。

 

企業の寿命は30年ともいわれる中、いかに老舗企業は、マーケットという荒波を渡ってきたのでしょうか?

 

共通項を探ると、老舗企業には、いくつかの特徴があります。

企業、とくに創業者のDNA(知的財産)を家訓として残す文化もその1つです。

 

「家訓」は、事業承継のリスクや、マーケットの変化に順応するための戒めを今に伝える知恵であり、多くの老舗企業や長寿企業が、こうした秘訣にもとづいて事業の承継を進めています。

 

創業200年をこえる老舗企業の4割に家訓があり、口伝を含めれば7割の会社に、なんらかしらの「戒め」が伝えられています。家訓には、伝統的な価値観を守るメッセージがありながらも、商いに関しては、時代や環境の変化に応じて、その中での進むべき方向性を見出し、他社に率先して取り組む姿勢を求めるものが多いのも特徴です。

 

この精神を「進取の精神」といい、伝統とは革新の連続であるとの言葉がぴったりとくるメッセージです。

 

ここからは、「進取の精神」に富んだ変化しつづける老舗企業を紹介していきます。

強い企業が勝ち残るのではない、変化に対応できた会社だけがマーケットで生き残ることができるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その① とらや「変わらないために変わる」

 

とらや(虎屋)は、東京赤坂に本社を構える老舗の製菓業。虎屋は京都が創業の地であり、1500年代の後半には資料で既に存在が確認されています。また、後陽成天皇の在位中(1586-1611)から天皇家に菓子を収める御用の役割を持っていました。少なくとも1628年には既に虎屋の店があった場所で営業してきた記録がのこっています。

 

社長の黒川氏はインタビューで次のような言葉をのこされています

「老舗によくあるような家訓はありません。しかし「1代1人きり」ということを代々申し送りしています」と。また、すべての味の「最終判断はわたし自身がする」との言葉もそえられていました

 

一般に、老舗といわれる会社は、保守的な社風と捉えがちですが、頑固な部分は、頑固。そして転身を図る時は、思い切った決断をするというのも老舗の特徴です。

 

とらやの最初の転身は、明治維新の際、新政府からの要請で、京都から東京(江戸)にお店を移した決断です。他の菓子屋が躊躇するなか、とらやは、赤坂に店をうつし見事、成功を収めました

 

また、森ビルさんから「六本木六丁目に新しい街をつくる」という話があった際には、「新しい街に、新しい虎屋を」という考えも一致しましたので、六本木ヒルズに初めて「トラヤカフェ」を出店。「新しいいことをして、もしお客さまが離れられてしまったら一体どうするんだ」という大変内向きな議論が起こったり、店の名前ひとつ決めるにしても「失敗したら虎屋の名前に傷がつくから『とらや』は付けない方がいい」と言う社員がいたりして大変な中、老舗の新しい挑戦は話題となり人気店となっています。

 

とらやでは、味の最終判断は、歴代の社長が決めてきた歴史があるそうです。

味をかえるということは、リスクを背負う行為です。もし仮に、明治時代や、終戦直後と比べて、「同じ味」を提供していたとして、今のとらやの名声が確保できていたかという点には疑問が残ります

 

 

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。(『方丈記』)

 

1000年前の京都にいきた鴨長明は、「河」はいつも一緒のようだけれど、その「水」はいつも違う水だと、 その著書『方丈記』に記しています。

時代や、商いも、『河』のごとく、いつも一緒のようだけれど、よくみれば、毎日違うマーケットが広がっているのです。

 

老舗の歴史は、絶え間ない革新の歴史です。

とらやは、老舗でありながらも、耐えず新しい表情をみせるベンチャーなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その② 仏具の金箔から最先端の半導体部品へ

 

携帯電話の中で、折り曲げ可能なフレキシブル・プリント基板配線用の銅箔では、日本国内のライバル1社と合わせて世界シェアの9割を占めるのが、京都の「福田金属箔粉工業」です。

 

 設立は元禄13(1700)年、赤穂浪士の討ち入りの2年前に、京都・室町で金銀箔粉の商いを始めた時に遡る

 

 明治時代までは金屏風や仏壇、仏具に使用される金銀箔粉を家内工業的に製造していた小さな組織でしたが、現在では、自動車、携帯電話、パソコンなどIT分野など最先端の機器に使われる金属箔や金属粉を幅広く製造する会社に生まれ変わっています。

 

≪きのうと違うことをやる≫

「伝統とは変革の歴史である。毎日、きのうとは同じことをしないで、最適なことを行うように努めてきました」という姿勢と、手にしたハンマーで箔を叩いていた時代から、水力、電力と手段は変わっても、「箔はより薄く、粉はより細かく」という仕事の目的を変えない姿勢には、老舗の誇りを感じます。

 

≪300年以上企業が継続してきた理由≫

林社長は、「駅伝ランナーと同じですよ。人によってスゼードが速かったり遅かったりするように、いい時代も悪い時代もあった。しかし、一人ひとりはしっかりと走った。次へ託す気持ちが強かった。今、社長としての自分に課せられている役割は、いかに次の代にバトンタッチをするかということだと考えています」。

 

「家の苗」という、福田家の家訓があります。「お客様には誠実に接し、振る舞いに気をつけること。祖先への恩恵の気持ちを忘れないこと」などといった内容で現在も受け継がれています。企業が存続するには、この「家の苗」が社員に浸透し、共有されていることが、二代、三代の「歴代社員」を生んでいるのでしょう。

 

日本の老舗企業のなかには、こうした伝統産業に根差しながらも、大きな飛躍を遂げた会社がたくさんあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

その③ 世界一の企業の意外な出発点

 

年商3兆円、従業員数14万人をほこる世界一のタイヤ―メーカー「ブリジストン」の前身は、『足袋屋』さん。九州の田舎の足袋屋さんが、足袋の底にゴムをはりつけるアイディアを思い立ち、足袋から、ゴム、そしてタイヤメーカーに成長していったのでした。

 

世界一のメーカーになるまでの道のりには、そして変化に強い企業の特性があったのではないでしょうか?

足袋から、タイヤメーカーへの転身は、一見縁遠い・・・と感じるものの、お客様のニーズが、足袋から、自転車、そして自動車と移行していくにしたがって、法人の在り方も、少しづつ変化させていっただけなのかもしれません。

 

老舗の歴史は、日々新たに習うこと。ブリジストンにつづく変革をみせる企業はあなたの会社かもしれません